宝塚雪組ファントム観劇感想②クリスティーヌの逃走 | 百花繚乱

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駆け出し東宝組。宙から花のように降る雪多めに鑑賞。

■クリスティーヌの逃走

歌に感情を乗せていくときの真彩ちゃんの表情の演技が大げさすぎず、想像の余地を残す余白があるの好き。

先生から貴方、そしてエリックと変化していく心情が無理なく伝わってきた。

 

圧巻はやはり、エリックに仮面をはずしてと歌いかけるmy  true love」

生身の女性クリスティーヌとしてのひたむきさと、聖女を連想させる清らかな威厳が渾然一体となって神々しいほど。

 

純白の声がエリックに語りかけるようにゆるやかに旋回しつつ上昇し、高い梢にとまったかと思うと少しもやすまず飛び立って、追い風を受けるように勢いを強めて遥か上方まで達する。

雲の生まれる場所から壮麗に響きわたる声は発光しているよう。

エリックは背中から歌いかけられてむせび泣くが、声で抱きしめられるようなあの歌を聴かされたら、確かにその一瞬のために生きるに値する。

そしてその分、エリックが仮面をはずして素顔を見せた後にクリスティーヌが逃げ出すシーンの過酷さ、エリックの希望と絶望の落差が際立って見える。

 

 

顔を見たクリスティーヌが逃げ帰るのは醜さの拒絶というより、既知だと思っていたものが未知の姿を現したときの不安さ、世界の設定が根底から覆される不気味さだったのではないかと思う。

そし地下からの逃走は死への恐怖、死からの再生という神話的な意味合いを帯びているようにも見える。

 

例えば黄泉比良坂(よもつひらさか)

死した伊邪那美(イザナミ)を追って根の国へ入った伊邪那岐(イザナギ)が、見るなと請われたにも関わらずイザナミの顔を目にした途端、醜い姿を恐れて逃げ出し、顔を見られたイザナミが地上まで追いかけていく古事記の物語。

あるいはオルフェウスとエウリディケ

死した妻のエウリディケを追って冥界に下ったオルフェウスが、冥界の王に「見るな」と命じられた禁を犯し、顔を見て彼女を永遠に失う。

「見るな」の禁忌と、見てしまった者の逃走は、世界各地の神話に認められる。

エリックの「彼女は僕の顔を見た、だから彼女は僕のものだ」という奇妙な台詞は、まさしくこの世界の理屈だ。

顔を見られた異界の神が、見た人間を我が物にしようとする姿に酷似している。

 

醜さや老いは死の象徴であり、それを見た後の逃走は、死からの再生に例えられる。

農耕文化の古代・中世では、生と死は冬によって死を迎え春に息吹く植物や穀物の姿と重ねあわされ、生命を循環させる神的力の体現として見られた。

カルロッタのとショレの会話ではさまれる「春」「冬」の台詞や、ウイリアム・ブレイクの田園の中に神を見る詩を読むと、人間としてのエリックとクリスティーヌの物語のみならず、より大きな物語を重ねてみたくなる。 

 

だいもんエリックと真彩クリスティーヌは複雑な変化を繊細に演じており、驚天動地の展開にも説得力を感じる。

それに加えて、情感のこもった二人の歌唱力の素晴らしさが、私たちに物語を理解させることを容易にさせ、目の前の物語以上の奥行きを見せてくれる。

天の配剤とも言うべきトップコンビの作り上げる見事なシーンだった。 

 

 

 

■愛の国

咲ちゃんの弱いほど優しい、優しさが人を駄目にしていくタイプのキャリエールの造詣がストーリーを理解しやすくしてくれた。  

You are my own「エリック私の愛しい子よ」の歌いだしはひたすらに優しく、差し出される大きな手が見えるよう。

 

イェストン版はデュエットを限られた場面で効果的に使っていて、主要人物が声を重ねて同じ旋律・同じ歌詞を歌いあうシーンは心を許しているときしかない

フィリップ・シャンドン伯爵とクリスティーヌが歌う場面はてんでばらばらの歌詞を歌っており、声を重ねているのは 「恋におちたような気持ち」 のワンフレーズだけだ。

咲ちゃんキャリエールとだいもんエリックは、ぴたりと寄り添って同じものを歌う。

だいもんが涙で詰まりながら歌えば、咲ちゃんはその倍の歌声で旋律を包みこむ

心が通いあった時間が穏やかな美しいモノフォニーとして表現されていくシーンは、イェストン版ファントムの調和の音楽の真骨頂だと思う。

 

咲ちゃんの「ありがとうと言わせてほしい」には、「すまない」が滲んで聞こえる。

エリックが一瞬でも自分の生の喜びと意味を見出したことは、キャリエールの罪を、エリックが自身で超えてくれたことを意味する。

つかの間差し込んだ一筋の光の明るさを信じようとするエリックの強さ・いじらしさに、キャリエールは自分が赦しを与えられたように感じたろう。

 ベラドーヴァを愛し、エリックを授かり、影ながら共に28年の時間をすごしてきたことが 期せずして息子から肯定されたとき、キャリエールはその行為を背徳と後悔の時間ではなく、愛と学びの時間として改めてとらえなおすことができたにちがいない。

「ありがとう」は父として息子へ、そして、神の雲や森であるエリックを通して自分を超えた力の存在へ感謝の祈りをささげているように聞こえる。

 

ひときわ力強く大きく響く「おまえの望みはかなえよう」は、今度こそ真実にひるみはしない、愛するものを守って見せるという、キャリエールの一人の人間としての全存在をかけた誓い。

魂を裸にした言葉の真実味に、生まれて初めてぶつけられる混じりけのない父の愛に身をなげだしてむせび泣くエリックは、まさしく神のみどりごのように愛の国にいる。

 

 

 

■従者、従者、従者!!

雪組屈指のダンサー陣の、空間を彫刻するかのごとき鋭角的で強靱なダンスは見事の一言。

エリックの押し殺された怒りや焦燥などの語られぬ世界を従者達が増幅させて表現していて、地底から生える鉄骨さながらにエリックの複雑奇怪な心の要塞に見えた。

エリザの黒天使たちとは違い、彼らは生身の人間と抽象的な概念の両方を絶妙なバランスで演じていて、緻密な無言の演技が素晴らしかった。

眞ノ宮君の端整な憂い顔、あがちんの棺の上のトートポーズの美しさ、すわっちの堅固さ、ジジの悲哀に満ちた慟哭、ひーこさんの邪悪な笑い、階段に肘を着いてもたれかかるあゆみねーさん、闇を統べる騎士のようなスタイリッシュさでした。

 

 

 

■フィナーレ

今回のフィナーレは 「もしエリックが傷なく生まれて、オペラ座でテノール歌手になったら」

劇の世界観を活かしつつ、ありえたかもしれないもう一つの幸せな世界を見せる宝塚のフィナーレの良さを堪能した。

リズミカルにアレンジされた多彩な楽曲が楽しく (dramaticSのサプールの鞍倉富一先生)、若手からベテランまで色々な人に見せ場があるのも楽しい。

 

フィナーレのとっぱし、銀橋で競りあがってくる翔ちゃんの煌きには心から救われる。

ここの翔ちゃんは二枚目の輝きとベテラン男役としての自信が同居して、充実感が漲って見える。

闇を解き放つ鐘のような高らかな歌声に、雪組の誇る若手~中堅娘役の小鳥ちゃん達がついばむように銀橋を走りぬけていくのが爽やか。

 

本編よりしっかりした声音でmy true loveを歌う真彩ちゃんは、聖母でなく生身の女性としてエリックを愛するクリスティーヌのようだし、その後ろで踊る先輩娘役同志のペアダンスが艶っぽくてかっこよくて溜息が出る (ひめさんウルフカットかっこいい・・) 

雪組先輩娘役陣の6-8人口は、雪組を観る大きな楽しみの一つ。

 

哀感のある「僕の嘆きを聞いてくれ」の旋律と共に、大階段に傷ひとつない顔で姿を現すだいもんの美しさが怪人

ミッドナイト・ブルーの効いた燕尾服が夜の底に冴え冴えと映える。

大階段上で男役が左右にすれ違いながらの陣形移動が、雪組らしく端整にそろっていて、幾何学的な精巧な美しさがある。

ホーンセクションが啼いてジャズ調に変わると、抜け感のあるダンスで優雅に泳ぎ始める雪男、余裕を醸し出してて小粋。

本舞台でひとことあやなちゃんがそれぞれ男役を率いて長い足をしなやかに蹴り上げれば、下級生男役が大階段中央に腰掛け気障ってる。堂に入ってて、しっかりした面構えでとてもかっこいい。

 

三人のプリンスの銀橋渡りの背後で、アップテンポの楽しげなmelodyの音色と共に、コバルト・ブルーのロングドレスに白長手袋姿の娘役が大階段からぞくぞくと降りてくる。

正真正銘の”春よりもっといい早春のようなまだ盛りを迎えていない春”の空のような清冽さ。

娘役陣が大きな雪の結晶の形をつくるのも目に嬉しい。

本作で退団のたわしにエスコートされて銀橋を渡るみとさんのお姿に涙しつつ、舞台一杯に組子が出揃う中詰めの満場の手拍子は宝塚賛歌、人生賛歌の響きすら感じるほどの楽しさ。 

 

銀橋に咲ちゃんが出てきたとき、隣の方が「あ、あの足、お父さん!」 と耳打ちしあってましたが、足で同定される咲ちゃん、銀橋ラテン腰ふり横歩きでは今右に出るものはいないんじゃないでしょうか。

その後ろではりーしゃ、まなはる、かり様、あす君たちの熟練男役達が大人のラテンで安定のスマートな色気を見せてくれて、雪組に死角なし。

 

Homeのサックスの甘美な音色ではじまるデュエットダンスは、宝塚のデュエットダンスの魅力である夢々しい幸福感とエリックとクリスティーヌの幸せな結末が重なった至福の時間だった。

森での至福の時が続いているかのような真紅の衣装の二人が軽やかに戯れた後、銀橋の二人だけの世界で走り寄る。

仮面をとる仕草をするエリックに、笑顔で抱きつくクリスティーヌ。

エリックが我に返り、夢か現実かを確かめるようにためらって一度腕をほどくと、まあやちゃんが 「そうよ、大丈夫よ」と言わんばかりに微笑んで、再び腕を回す。

真彩ちゃんを抱きしめて天を仰ぐだいもんの姿は、キャリエールに抱擁されてときと全く同じ姿に見え、フィナーレとしても、物語としても見事な完結を迎える。

 

 

 

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