組子たちの入出は熊並の防寒スタイルとなり、part4までつくって絶賛お客様還元キャンペーンをくりひろげた宝塚ニュースに悶死して 2018年が始まった。
西ではみりおバンパネラによってついに妖しの世界への結界が破られ、東の人間どもは大雪で露呈した東京の脆弱さにうすら寒さを感じたまま劇場に通う、そんな冬の最中だった。
1月の下旬、舞台が魅力的であることには全く代わりはないのだけれど、真彩ちゃんが、少しずつ歌い方、息づきの仕方を変えはじめた。
だいもんも、もしかして何かを抑えているのかもしれないと感じることがあった。
前日、ファンが心待ちにしている雪組イベントの公開収録を、数学の彩風咲奈先生が無念にも 「雪のため」 欠席した。
2/4はそんな翌日だった。
■マクシムとロベスピエール
2/4まで、マクシミリアン・ロベスピエールは、「マキシム」だった。
英雄になるべきでなかったのに、時代に祭り上げられてしまった一人の男の物語だと感じていた。
2/4、マクシミリアン・ロベスピエールは、「ロベスピエール」だった。
2/4、その物語は、望むと望まざると、革命を背負い、歴史に名を刻んだ男の物語だった。
「ロベスピエール」は、唯一無二のロベスピエールで、偉大であるがゆえに、苗字を呼び捨てされる人々の一人だった。
ヒーローとしての説得力があり、魅力があった。
マリーアンヌに虐殺をやめるようにと迫られたとき。
ロベスピエールが振り返った目にぞっとした。
「何を言っているんだ、この女は」 という体温のない瞳だった。
そこにいたのはマクシムという私人ではなくて、公人だった。
マリーアンヌとのやりとりで、徐々に私人としての感情を思い出してきたように見えたが、公人としての彼が、彼女との決別もやむなしと覚悟したように見えた。
そしてダントンとの対決。
それまでは、マキシムは迷い、揺れているように見えた。弱く、見えた。
その日のマクシムには降ろせない荷物がはっきりとあった。
たがらこそ、今までで一番、ダントンとの理解を求めているように見えた
その日の咲ちゃんのダントンも、より強く太くなっていた。
芝居がかったからかうような調子が薄くなり、切実な、諭すような響きか強く出た。
お互い譲れないものを抱え、友情という一点に賭けてつながろうとする二人の必死が、息を呑むような緊張感で迫ってきた。
■望海風斗の慟哭
そこからの、ロベスピエールの恐怖政治の宣言のシーン。
すさまじい慟哭だった。
だいもんの声が、劇場の天井に突き刺さって、びりびりとふるえた。
音の波に体を貫かれ、金縛りにあったように動けなかった。
ドンジュアンのときKAATで感じたあの衝撃の現象が、まさか東宝で起ころうとは思わなかった。
そうだった、望海風斗は、こうやって人を感電させるひとだった、と呆然としながら思い出した。
例えば普通の人の声の厚みがストローぐらいの太さだとすると、それまでのだいもんの声はゴムホースだった。太く、厚く、ゆるぎない。
それがその日、突如、ペットボトルの太さになった。
あっけにとられた。
今までで十分すごいのに、それ以上の境地があるとは想像もしなかった。
人体の構造上、あんなことが可能なんだろうか。
ロベスピエールは、ひたすらに歌い続けた。
組子達のコーラスは、明らかに1月前半より声量と迫力を増した
劇場全体が熱を帯び、一塊になって、怒涛のようにラストシーンまで転がり続けた。
だいもんは、全くゆるぎなかった。
鬼のように歌って歌って、歌い倒した。
それは組子達の変調と無関係ではなかったと思う。
だいもんは座長としてこの公演を引っ張り、高め続けようとしているのだと思った。
普段は脱力し(すぎ)ている望海風斗の、舞台の上での父性をはっきりと見た。
その姿は、まさしく、雪組の大黒柱だった。
そして、望海風斗の牽引力を開花させたのが、この演目と、劇場と、雪組の組子だった。
■雪組というカンパニー
ショーでは、銀橋で真彩ちゃんとデュエットする希望の歌を、だいもんが一人で歌った。
だいもんが合図を送ったときの慈愛に満ちた表情、銀橋ではけていくときの真彩ちゃんの表情が忘れられない。
いつもは100万ドルの笑顔の真彩ちゃんが、胸の痛むような親にはぐれたような顔でだいもんを見ていた。
海の見える町で、咲ちゃんはいつもより足を舞台に置いている時間が長かった。
突風のように、組子がその左右をがしがし踊りぬけていった。
真彩ちゃんの発する掛け声を、組子が皆で出した。
だいもんが真彩ちゃんと一緒に歌うと、真彩ちゃんの声がふわりと空気をはらんだように膨らんだ。
それを見た時、同じカンパニーで、複数年、公演を行えることの暖かさを思った。
そしてここから船出したちぎさんの、「これからは一期一会で大切に舞台をつくりあげていく」 と語った言葉の重さを思い知った。
同じカンパニーで公演しづつけるということは、信頼をつくりあげる時間があるということだ。
互いを知るための時間がある。
育つのを見守る時間がある。
互いの癖を知り、うまく折り合いをつけ、生かすように動ける。
先代雪組から組子も代わり、大幅に色が変わった新生雪組が、難曲だらけの長期公演の中でトラブルにもまけず、互いをカバーしあいながら一丸となって進化していく姿は、ただただ、ひたすらに美しかった。
これぞ宝塚、と思った。
■トップスター望海風斗
コールポーターソングで紫の衣装に、真紫の大羽と黄金の幅パネルを背負ってせりあがってくるだいもん。
羽をゆさゆさしてほしいと野口先生からの依頼されたが、バネルが頭にがんがんぶつかるので、早くお友達になりたいと言っていた。
その日、完全にマブダチになってた。
真風涼帆並の羽の大振り、眼光の鋭さ、掛け声の濃さ。
ショースターとして、エンターテーナーとして、頼もしすぎて、光背を背負った不動明王みたいに見えた。
自分も一番体力を消費しているだろうに、外野の貧弱な想像力やファンの気弱な心配のはるかかなた高みを悠々と駆け抜けていく人。
奇跡の風景を見せてくれる人。
それは、オリンピック選手やフィギアスケートの選手達を見る時の感嘆に似ている。
肉体の極限を更新しづつける脅威と、私達凡人の想像力の圏外へと飛び出し、ここではない新しい世界を見せてくれる人。
だいもんは魔法を使える人、つまり、宝塚歌劇団のトップスターになったんだ、と思った。
トップさんに、なったんだ、と実感した。
以前、三谷幸喜と天海祐希さんの対談で、三谷さんが、演技ももちんのこと、天海さんが舞台上でのマイクトラブルやハプニングを瞬時に顔色変えず優雅にカバーしていく姿に言及し、「こんな人見たことない」 と驚き、手放しの絶賛を贈っていた。
心から嬉しく思うのと同時に、「当たり前じゃ! どこの劇団の伝説トップだったと思ってるんじゃ、われ! 年間900回公演なめんな!」 と、無性にどつきたくなったことをふと思い出した。 (色々すみません)
だいもんも、そんな舞台の魔法使いたちの系譜に、名を連ねていくんだろう。
どうか千秋楽まで、雪組に関わるすべての人たちが、その公演ごとのベストをつくして、ただ一度きりの、最高の舞台を作り上げられますように。