No.3-6 絶対大丈夫、という根拠なき自信
卒業後の進路として選んだのは…
「浪速短期大学(現 大阪芸術大学 短期大学部) 広報科」
いわゆる、マスコミ業界のなんだかんだを勉強する科。
東京には専門的な学校(大学や短大)はたくさんありました。
ただ、東京に興味はなかったので…関西圏で、かつ専門学校以外で、ってなるとここしかなく。選択の余地もなく。オープンキャンパスとやらに行ってみたものの、大学が夏休みだったので、よくわからず。他にないならここにしとこう、くらいの軽い感じで決めた記憶が…。
ちなみに、私の受験に対して先生方から出ていた意見。
「かなり難しいと思うぞ」。
私の通っていた高校からこの科に行った卒業生は、過去に一人もおらず。一切の情報が学校にないからよくわからない、って言ってたくせに……。何を根拠に言ってんだ? と思いつつ、またか…とも思いつつ。このセリフ、顔ぶれは違えど、高校受験のときも先生方に呟かれました。
そして、私が返した言葉も、また同じ。
「大丈夫」。
あのときも、私のなかには、ちゃんと確信がありました。
根拠なんて、まったくないけど。
No.3-5 熱中時代の果てに辿り着いた未来
些細なきっかけによって、久方ぶりに到来した“熱中時代”。
昔、習っていた水泳以来の出来事でした。三度の飯より泳ぐことが好き。泳ぐことが、水のなかにいることが、ただ無条件に大好きでした。
魚みたい、って言われるくらいに。
きつい練習も、時間的拘束も、楽しくて仕方ないくらいに。
そのときと同じ、もしかしたらそれ以上かもしれないと思うほど、熱中できるもの。
泳ぐこと以外で、はじめて夢中になったこと。
泳ぐこと以外で、はじめて我を忘れて没頭したこと。
それが、「書く」こと。
そして、無意識のうちに辿り着いていた、未来の自分。
「書くことを仕事にして生きていく」。
そう思った私の頭に浮かんだのは、なぜか雑誌。小説を書きたい、とか、エッセイを書きたい、とかではなく、雑誌の編集の仕事をしよう、でした。
「書くことを仕事にする」にはそれしかない、あのころの私の情報脳では、それがいっぱいいっぱい。
“編集”という仕事の何たるかも、何も知らないくせに…。
No.3-4 きっかけは、劇的なもの、じゃない
きっかけなんて、どこに転がっているか、本当にわかりません。
古びた廊下で、突然降ってきた自分のなかの見えない可能性。
ちょっといい気分で、少しだけ誇らし気に、友だちやクラスメイトに話すだけでもよかった。または、自分のなかで小さな喜びを噛み締めるだけでも。
でも、なんか、掴まなきゃ!って、思いました。
「やりたいこと」や「将来の夢」としてじゃなく。自分でいられる居場所、自分のなかに確かにあった“自信”を取り戻すための“誇り”として。
それはもう、動物的本能、でした。
ずっと昔、今は亡き大好きな祖父から、言われたことがあります。「人生には3回転機(チャンス)がある」と。それは皆平等に与えられるものだけど、掴める人と掴めない人がいる、と。
祖父が、どんな根拠のもとにこんなことを言ったのかはわかりません。
ただ、その真意を理解できないながらも、祖父に似て頑固で負けず嫌いな私は、幼心に思いました。“ 3回とも絶対掴んでやる”、と。一つたりとも見逃すことがないように、と。
きっかけなんて、決して劇的なことじゃない、と思います。ほんの些細な、人から見たら「?」って思うような、あまりに日常的なこと。
でも、それは確かに人生を変えるし、自分の心の奥の扉を開ける鍵に、なる。15の私がそうだったように。
私が特別だったわけでは、決してありません。
それは、どんな人の“日常”のなかにも、必ず存在しているもの。自分自身の一瞬一瞬に、ちゃんと目を凝らして向き合っていれば、必ず、出会える。意外なほど、ありふれた日常のなかで。
No3-3 負の感情があるからこそ、貪欲になれる
若いころの感覚は、恐ろしいほど柔軟で、その吸収力たるや凄まじいものがあります。
この当時の私も、そうでした。
書くたび褒められる。褒められるから楽しくなる。楽しくなるから書く。また、褒められる。
その繰り返しの毎日のなかで、文章の力は目に見えて変わり、「書く」ことへの意識は、日に日に貪欲になっていきました。
当時の私は、コンプレックスの塊、でした。
中学時代のとある出来事によって、言葉を発することが怖くなって、目の前の相手の反応にひどく怯えるようになって…。一番多感な時期に負った傷のせいで、必要以上に人の目を気にするようになってしまいました。
自分を偽ってでも、感情の半分以上を押し殺したとしても。嫌われないように、不快な想いをさせないように、もう一人にならなくていいように、と。
そしたら、自分に対して自信を持つことは、できなくなっていきました。
昔みたいに、ありのままの自分でいられないこと、思ったことを言葉にできないこと。無駄に自信に満ちていた自分を忘れてしまったかのように、周りに気を遣って、嫌われないようにいい人ぶっていること。何年も前に負った傷に怯えて前に進めず、ヘドロみたいな黒いコンプレックスばかりを重ねていくこと。
そんな自分が、大嫌いでした。
そんな全部が、許せなかった。
だけど、書いているときだけは、そんなすべてのことから解放されました。
書いているときは、ありのままの本当の自分でいられたし、自分を責めずにいられた。そうやって書いているものを他人から褒められるたび、自分の存在そのものが許されたような、認められたような、そんな気がして…だからこそ、書くことに貪欲になっていったのだと思います。
皆が皆そうだとは言い切れない、人によりけり、だと思うけれど…
もしかしたら。
心のどこかに、どろっとした感情を、拭いきれない負の感情を抱えている人の方が、無防備な貪欲さを持てる、のかもしれません。
私自身がそうだったように。
No.3-2 一風変わった国語のテストがもたらしたもの
苦手だった「書く」ことが「大好き」なことに変わってからは、ただただ、やみくもに、言葉を書き続けました。
15の私に考えつく「書くこと」と言えば、友だちに手紙を書く、とか、日記を書く、とか。そんな、他愛のないことだったけど。
でも、 暇さえあれば、家でも、授業中でも、思いつくまま、書きなぐる毎日。それは、想像以上に楽しくて刺激的で、驚くほど自分を解放してくれました。
その最たるものが、国語のテスト!
私たちの学年の国語の先生が作るテストは、なぜか最終問題がいつも作文。決まったテーマに基づいて書くものだったり、何個かのキーワードを使って文章を作るものだったり…出される課題は毎回違ってたけど、とにかく最後は作文、でした。
解答用紙の裏面にプリントされた、400字詰のマス目。採点は、5点満点。ここだけは、いつも満点。ときに、「5+」っていう異例の点数をつけられたことも。
そんなときは、決まって、みんなの前で発表されるのです。
そして、あるテスト返却の日、先生は感心しながら、こう呟きました。
「君が書いたこの文章、エッセイとして成立してる」。
私の自惚れと思い込みは、確信、に変わりつつありました。
そして…、書くことへの“自信”レベルは、何に迷うこともなく、ぐいぐい上昇していったのです。