こんにちは。
今回は月に1度のシリーズ「箱根路を駆けた名選手たち」です。今回紹介する選手は小山 司(帝京大卒)です。
中学時代から、小山の隣にはいつも眩しい輝きを放つエースがいました。当時、決して強豪校とは言えなかった帝京大もそんなエースに導かれて強くなっていきました。そんな中で小山は悪く言えば地味なタイプだったものの、安定して走り続けることで信頼を獲得した選手です。今回はそんな小山の歴史を紹介します。
〇中学・高校時代
埼玉の男衾中から武蔵越生高校に進学した小山。中学高校ともに、あの設楽兄弟と同級生でした。当時から設楽兄弟は才能の片鱗を見せており、駅伝全国大会に出場しています。小山は3本目の柱として走っていましたが、彼らの陰に隠れており、大きく目立つことはありませんでした。
〇大学時代
高校卒業後は中堅校のひとつだった帝京大に進学します。当時の帝京大は出走メンバーがみんな同じような力を持つ金太郎飴のようなチームでした。しかし、そんな帝京大の歴史を変えるようなエースが小山と同時に入部することとなります。彼の名は蛯名といいました。
■1年次
小山はじっくりと力をつけている途中。勝負レースへの出場もありませんでした。一方で蛯名は早速箱根駅伝デビューを果たし、8区9位と好成績を残しています。
■2年次
この年、小山は本格化し、レギュラーの座をがっちりと掴みました。全日本予選2組4位、全日本5区8位、箱根予選79位、箱根5区12位とチームの先頭を走っているわけではないのですが、確実に役に立っていました。
なお、蛯名はこの年の学生ハーフで優勝しており、一気にその名を学生長距離界に轟かせることとなりました。
■3年次
結果として、帝京大が最も輝いたのはこの年でした。小山は前年からパワーアップし、全日本では最長区間の8区を区間10位と粘走、箱根駅伝では前年と同じ5区で区間5位としっかり役に立ちます。箱根駅伝では蛯名も他校のエース達と真っ向勝負を展開し、2区8位という結果以上にいい流れを生み出しました。彼らの活躍もあって帝京大は総合4位とチームの歴史に残る好成績を残しました。
■4年次
前年の箱根4位のメンバーが多く残ったことでさらなる躍進が期待されたこの年の帝京大。しかし、大きな落とし穴が待っていました。それは蛯名の故障です。
それまで前半区間で必ずいい流れを作ってくれた蛯名の代わりになる選手はいません。では、彼の走っていたエース区間を誰に任せるのか、中野監督は迷うことはありませんでした。
“困ったときの小山”
今まで中盤以降の区間しか走っていなかった小山ですが、絶対に外さない走りを続けているうちに、いつの間にかエース蛯名と並ぶほど頼りにされる選手となっていました。
出雲駅伝では3区、全日本大学駅伝では2区とスピードエースの集う区間を任された小山ですが、それぞれ1区の選手が出遅れたこともあって思うような成績を残すことはできませんでした。
それでも中野監督からの信頼は揺らぐことはありませんでした。
小山は箱根駅伝でもエース区間の2区を任されます。他校の名だたるエース達に惑わされることなく、自分の走りを貫いての区間12位は素晴らしい結果と言えるでしょう。
小山がいちばん苦しい前半区間を耐え凌いでくれたおかげで、その後の選手たちはスムーズに反撃に切り替えることができました。なんとか7区に間に合わせた蛯名の快走もあって総合8位と見事に連続シードを獲得することができました。
〇社会人時代
帝京大卒業後はSUBARUに入社します。ニューイヤー駅伝では最もタフな5区を中心に相変わらずの安定した走りを見せています。
また、マラソンにも積極的に取り組んでおり、年々タイムを短縮しています。この調子でいけば、今冬にも一流の証であるサブ10が達成できそうな予感があります。
〇最後に
今回伝えたかったことは、決して華のある活躍をしていなくても、与えられた場所で己の役割を果たし続けることで信頼を獲得できるということです。
そして、そんな選手がいるチームは少々のアクシデントには動じないくらい強いです。
帝京大はいつも“速さ”より“強さ”を持っているチームです。小山はその象徴なのかもしれません。
次回はまた各チームをキーワードと共に紹介します。お楽しみに。
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