日本人としての誇り
7月27日(月) 快晴 Hochi Min City(Saigon)@ベトナムから電車で移動中
今こちらは31日の15時過ぎです。
昼下がりにこんにちは。
今僕はベトナムの首都ハノイにいます。
なかなか日本語のできるパソコンがなく、2日かかってやっとネットカフェを見つけました。
日本語が □□ で表示されるパソコンを見ると、日本語とは限られた言語なんだなというのを実感しました。
1億2000万人の人口がいても、ベトナムではでもそんなの…ってやつですね
おっぱっぴー
ということで4日前の日記、いきます!!
朝7時に起床
フォトジャーナリストである村山康文さんと写真家である西村陽一さんの写真展が
ベトナム戦争証跡博物館でこの日(7月27日)から開かれる 8月26日まで
そのセレモニーが9時からあった
招待券を貰っていたのだ
村山康文さんのHPhttp://murasan33.exblog.jp/
普段はただの変態オヤジ(笑)ですが、仕事のときとのGAPがまたいいですw
ホテルで村山さんに会うと「8:45に来ればええから」とのこと
25分前の8:20に余裕を持って、歩き出す
昨日にその博物館は訪れている
ホテルからは1㌔もないため10分で着く
はずだった…
僕の方向音痴を舐めてはいけない
歩いていると、銀行なりビルなりがたくさんある大手町のような街になる
こ、これは明らかに違う!!
どうやら博物館のある反対側に行ってしまったよう
道を尋ねるとビジネスマンはすごく親切に教えてくれる
ということでモーターバイクの後ろに乗り1$払う
博物館に着くと、もう30人以上の人たちが集まっていた
テレビカメラは2台、カメラマンは4人以上
日本ではなく、ここはベトナムだ
現地メディアから本当に注目されているのだなと感じた
1階に入ってすぐの左側の部屋でダブル個展は開かれている
ベトナム戦争でのたくさんの枯葉剤被害者たちの写真が飾られている
ただ枯葉剤が人々に障害をもたらしたのか
影響したかは未だ化学的には解明されていないようだ
1人でも多くの人に写真を見てほしいと思った
顔面の右半分が2倍、3倍にも膨れ上がった女の人
腕や足が極端に曲がっている・ない人たち
左肩が異様に膨らんでいる人
これだけは言うことができる
戦争さえなかったらこの人たちはこのようには生まれなかった
賞状や記念品の授与が終わると
2人のスピーチが始まった
以下に西村さんのスピーチを抜粋します
――――――――――
現在、枯葉剤の被害者は150~900人いるとベトナムでは言われてます。
彼らは枯葉剤被害者の2世や3世です。
私は95年の阪神大震災のとき神戸に住んでいました。
その光景をカメラで撮ることがどうしてもできませんでした。
その想いがあって、今ベトナムで写真を撮っています。
日本では先生をしていて、2001年に退職し、年2回ほどベトナムに来ています。
「たくさんの方に見ていただいて、知ってもらうこと」が大切だと考えています。
以下は村山さんのスピーチの抜粋です
―――――――――――
98年9月に石川文洋さんのツアーで初めてベトナムに来ました。
「戦場の中に見る人間の愛」を感じました。
こんなにも人の心を動かす写真を自分も撮ってみたいと思いました。
ベトナム戦争から20年経った当時も、戦争は終わっていなかった。
子供たちはキラキラしている。
大人たちは繰り返してはならない。
この子達の将来を奪ってはならない。
「そのためには伝え続けなければならない」。
話したくない・記憶を忘却したい人からも話してもらうように努めた。
私が7歳のときにベトナム戦争は終戦を迎えた。
「今を生きるベトナムの人たちに話を聞くことによって知ることができる」。
「二度とこのようなことを起こしてほしくない。
世界の子供たちに命の大切さを教えたい」。
枯葉剤は子供や孫の世代へ続いている。
傷を負った人は一生忘れることができない。
日本では8月に長崎・広島に原爆が落とされ終戦した。
このような時期に写真展を開けることを心から感謝したい。
「すべての人々の健康と、全世界の平和を祈って、終わりの言葉に代えさせていただきます」。
―――――――――――
村山さんは本人曰く「相当ヤンチャして」育った。
小学校はいじめられっこだった。
ある日泣いて家に帰ると、「何でやり返さないねん!」と親に言われた。
やられていた3人にバットでボコボコにやり返した。
転校し、中学では窓ガラスを叩き割った。
不良グループとつるみ、高校は中退した。
20歳のときに母親を亡くす。
24歳のときには父親も亡くした。
職を転々とするが、28歳のときに一念発起し大検を取得。
29歳で立命館大学の文学部哲学科に入学。
マルクス主義などを学ぶ。
ある日、ロバート・キャパの写真展を見た。
それが彼の写真家としての人生の始まりだった。
3、4時間かけてじっくりと写真を見た後、衝撃を受けた。
新歓コンパで知り合った教授にその話をすると石川文洋さんを紹介された。
意を決し、震える手で電話をする。
すごい気さくな方で、特有の甲高い声で
「夏のベトナムツアーにおいで。いくらでも話せるから」と言われ、
村山さんのベトナム通いは始まった。
今回で29回目の渡航である。
写真展にはドクちゃんが来た
村山さんは何度か取材したことがあり、友達なのだそうだ
奥さんが赤ちゃんを身篭っていると知っていたので、
通訳の人を交え「おめでとう」と祝った
日本語も話していた
その後総勢14人で食事
昼からビールを飲んで愉しい気持ちになる
ベトナムで働く日本人の方たち、その社員のベトナム人の、女の子ホーチミン人文社会大学に留学している神田外語大の女の子、世界一周ハネムーン夫婦と僕
愉しい会が終わると、夜の電車まで時間があった
夫婦の方たちも夜発のバスでフエに行くまで時間が空いてるとのことで
近くの公園で時間をつぶす
付き合って4ヶ月のとき、電車に乗っているときに
奥さんが「世界一周しようか」と言った
「お互いが気持ちが変わらなかったこと・もちろんそのまま付き合っていたことがすごい」と奥さん
付き合って2年
3月にお互い仕事を辞めた
軍資金は2人合わせて300万円
結婚式もすませ(「結婚しようか」と言ったのも奥さん 旦那さんは「そうしよっか」と言ったらしい笑)
まずインドから入り北インドを横断、ネパールまで行き
飛行機でバンコクへ
マレーシアのクアランプール・バリ島などを経て、
あとはバンコク、カンボジアのシェムリアップ・プノンペン、ホーチミンと来たそうだ
25歳のしっかり者の奥さんと渋い28歳の旦那さん
2人の間に流れる独特の間が好きだなぁ
2人とお別れし、ホテルへ
村山さんがちょうど起きてきて、一緒にコーヒーを飲む
ベトナムコーヒーはめちゃくちゃ甘くておいしい
2つのすばらしい言葉を教えてもらった
「人を愛するなら、その人の人生すべてを愛せよ」
「僕は人間が好きです。どんなプロレタリアもどんなブルジョアも身を切れば赤い血が流れます。みんな人間なのです。しかし、人間は時として豹変し野獣と化します。でも、やっぱり僕は人間が大好きです」 by村山康文
若いころに普通の人はしないような、
どん底も荒れた生活も経験した村山さんだからこそ
言える・出てくる言葉なのだろう。
なぜか『だから、あなたも生き抜いて』の 極道の妻・大平光代さんを思い出した。
村山さんの本『いのちの絆』を買い、サインをしてもらう
また1人尊敬できる日本人に出会えた。
タクシーに乗り込み、サイゴン駅へ
17:40に出たのだが、ラッシュアワーがすごく、車はまったく進まない
結局18:10すぎに駅に着く
メーターの表示を見ると53と書いてある
おそらく530000ドンなのだろう
だが、僕の財布には20000ドン強しか入っていない
仕方なくドルで払う
6ドル3000ドンもぼったくられる
疲れていたので交渉もせずに、タクシーから降りる
ホクホク顔の運転手 んもう憎ったらしいんだから
列車に乗り込む
12両編成くらいの長い列車
8号車の8番席
一番いい席を買っていたため4人ボックスを探す
いくら探してもない
車窓さんに聞くとここが「君の席だよ」と
6人ボックスやないかい!!
1部屋3人ずつの寝台が2列に並んでいる
チケットには1106000ドンの文字(約61$) 1$が17000~19000ドンくらい
昨日は81$払ったんけどね…
まぁ人生はプラスマイナス0だろ
とかよくわかんないことを考えて、自分を納得させる
そういえば宿に30$払った(2泊だから実際は20$)
旅が長くなると僕は逆にルーズになっていくのだった。。
今日学んだこと
「被写体をいかに愛せるか」
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