まえにも少し書いたことですけど、私は今様々な病気、特に癌に罹患した方々のブログをよく見ています。去年、いろんな有名人たちが亡くなった死因にはやはりがんが多かったせいがあったからです。
それにしてもいろんな癌があることに驚きでした。若くしてり患した方々も多いです。親や夫、妻そして子供を失った方がたもいます。やはり涙が溢れます。
1980年代の親世代の方々も高齢になり癌で亡くなる方々も多いですね。私と同年齢の人たちの訃報も時々耳にします。2世といえども親を亡くした喪失感は相当なものです。確かに復活の希望があるとはいえ、今そこに親がいないことを考えると寂しくてたまらないという人もいます。
だからこそ復活の希望をもって日々悲しみに耐えている人もいます。そういう信仰を持つ人から見れば、幼いころに受けた制限ある生活ですらも、まったく苦にならないようです。
信仰とはそういうものです。それを侮辱するような人は人間としての質に問題があることはいうまでもありません。
聖書を知らない人たちの多くは「亡くなられた方はいつもあなたと共にますよ。」とか「見守っていますよ。」と愛する人をなくした人を慰めますし、また残されてた人も毎日仏壇に亡くした愛する人に語り掛けています。ではそういう人を侮辱する人は人間としての質に問題があるのではないでしょうか。
2世でも亡くなった親の復活を心待ちにしている人もいるのです。2世であるがゆえにその教理で慰めを得ている人もいるのです。そういう人がいることを決して忘れてはならないでしょう。