向こうからかかってきた電話です。いま私が集会に行っていないことを伝えました。それでも懐かしい声でした。
今一体何を考えているのか?
少しそれを知りたくなり、昨今の報道に関してどう思うかを尋ねました。
かいつまんで話をすると、
まず「周知」の件。
昨年春に支部から手紙が届き、厚労省からの通達で児童虐待に対し適切な行動をとるようにということをかなり細かく集会で読み上げられたとのことです。集会で読み上げられた以上「周知」させたことになります。
それで読売新聞で登場した「教団関係者」の言葉の信ぴょう性はなきに等しいものです。そのようないい加減な情報をいかにも組織が行動をとっていないかのように述べた田中弁護士は軽率であったと言わざるを得ず、その言葉を検証しないでうのみにした方々もまた軽率です。
報道のせいで野外奉仕をしにくくなったかと尋ねると、地域性もあるかもしれませんが、そのことで特にひどい反応はないとのことです。そもそも無関心だからですね。
ただ職場でエホバの証人のことを良く知って、親しくしている「世」の男性の母親が、この男性に「お前はあんな人と付き合ってて大丈夫なのか」と注意を促すと、この男性は母親に「彼は仕事も勤勉で正直で皆から信頼されていますよ。お母さんこそ直接知りもしないで、メディアの報道だけで判断することは大丈夫なの?」と言ったそうです。
昨今の報道で、エホバの証人よりもエホバの証人を良く知る世間の人の方がエホバの証人のことを心配しているとか言っていました。まあこれも地域差、個人差はあるでしょう。
輸血拒否に関してはそれに虐待という言葉を当てはめるのはおかしい。虐待というのはいわゆる加害行為ですが、エホバの証人は意図的に加害するのではなく代替医療をあらゆる方法で臨んでいるので加害の意図はないとのことです。まあそうでしょうね。虐待以外の表現を使うことはできないものでしょうかね。
それと審理委員会での質問に関してです。
長老に配布されている教本を元に、性交渉をした時期、場所、方法、頻度を詳細に尋ねた。質問は、身体を触り合った際の体勢などにも及んだ。
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審理委員会では時期や場所、頻度については尋ねますが、それを詳細だというのであれば、罪を確定できませんので、審理ができません。ただし身体を触りあった際の体勢まで尋ねるようにという指示までは教科書にはないようです。となるとそれを尋ねるのは審理委員の個人的趣味、詮索好き、興味本位にゆだねられるのです。
私がこの元”出世”幹部がどういう経緯で排斥になったかを告げると「そらそうなるな」と言っていました。それでもこの人は弁護士まで使って自分の逆恨みを晴らそうとしているわけです。裏を返せば田中弁護士は、自己中心的な個人的逆恨みを晴らすことに加担しているということになります。そういう方法を現役はどう思うでしょうか。
また性加害に関してはダビデもバテシバと姦淫をしたということもあり、不完全な人間だから罪を犯すこともあるということです。十二弟子もいろいろ罪を犯しましたしね。「一件たりともあってはならない」というのはエホバの証人を完全なものとみなしているアーカイブ団体の非現実性を示していることになります。