選択の自由があると言っても、それしか選択できない二つの道 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

エホバの証人がよく使う言葉に「強制はしていない。」というのがあるのですが事実上強制的になるというのは実は現役時代にヨシュア記を読んだときに感じたことがあります。

 

どこだったか忘れましたが、ヨシュアはイスラエルの民に「エホバに従うなら命の道を、エホバに従わないなら滅びの道を」というような主旨の二者択一を与えました。

 

これって事実上ひとつしかないと感じました。

 

エホバの証人もこれと似た選択をさせます。

 

思うにもしエホバに従う人間が命を得るのであれば、普通にそのまま永遠の命を与えればいいのになと思いますね。

 

つまりですね、普通に生きていれば人は老いますし、病気や事故や事件、災害に見舞われて命を落とすこともあります。で、それはそれで寿命を全うするのです。

 

ところがエホバに従うものだけは年老いることもなく、そして死んでも復活するのです。でね、別にわざわざ事物の体勢を滅ぼさなくても、神に従うものだけが恩恵を受けるようにするのです。

 

同じ世界に住んでいて、神に従う人だけが恩恵にあずかるのを目の当たりにすればハルマゲドンで大量虐殺なんかする必要もないですし、そういうのは恐怖心を与えることもないのになあと思いますね。