断っておきますが、エホバの証人の記念式は聖書的には間違っています。しかしながら現役時代はそれは神聖なイベントであると確信していましたし、記念式の前の一週間はキリストの過ごした日々に思いをめぐらせて心の準備をしたものです。
当日は風呂に入ってきちんとした身なりを整えて出席しました。それは聖なる場所へ向かうからです。それほど特別なものでした。
現役時代から日本支部の輸血は良心の問題発言や、完全寄付制移行期の課税逃れの指示には疑問を持ち、たとえ支部委員でも救われないと思っていました。
もし今現役ならば、昨秋から嘘に嘘を重ねるものみの塔日本支部の態度にはほとほとあきれ返っていたことだと思います。虚偽と欺瞞を常習的に行う日本支部広報及びそれを許可した支部委員たちは聖書的には完全にアウトです。「もはやエホバの証人ではなくなった」人へのものみの塔の措置は冷酷です。排斥者が記念式に出席しても表彰物は回されません。それと同等の措置をするべきだと思ったことでしょう。
古代イスラエルでは至聖所に入れるのは大祭司だけでした。もし他者が入れば確か死刑になったはずです。であれば虚偽の回答を繰り返す日本支部広報と支部委員たちのようなものが同じ会衆で記念式に、神聖な面持ちで出席するのを見るのは耐えられないと思いますね。つまみだしたくなります。
聖なるイベントに彼らと同席したくないと思うでしょう。ましてや彼らが講演をしたり、パンや葡萄酒の祈りをしても耳を閉ざして自分で祈ります。彼らの祈りはまったく無意味です。きっと祈りの内容も虚偽だらけです。
その口から真実は語られません。その口に真実は期待できません。彼らは神聖なイベントにはふさわしい人間たちではないのです。ものみの塔基準ではそうなるのです。排斥者に対するように、片隅に隔離された椅子に座るべきなのです。私が現役ならば、彼らには個人的には挨拶の言葉すらかけないでしょう。彼らは嘘を吐くことでエホバの名を日本全国で貶めた元凶であるという揺るがぬ根拠があるからです。
しかし現実はそのような人間が良心の呵責もなく記念式で偽善者の顔を臆面もなく堂々と見せ、それにたかる人間もわんさかいることを考えると、そもそも私がエホバの証人という宗教団体に不向きだったと思うのです。信仰も敬虔な思いがなくても元HLC委員のような出世欲のとりこになった人間もいたくらいですからね。この人物も支部委員も紙一重です。
死導者とは?