体罰全否定をし、個々の家庭の判断に任せず、ほとんど強要に近い仕方で、バプテスマを受けていない子供たちに、バプテスマを受けた人に要求される規制を親を通して行わせたのも関わらず、関与を否定したものみの塔日本支部広報と統括している調整者乳井健司、そして支部委員たちは、いったいどういうつもりで今夜の記念式に臨むのでしょうか。
彼らが記念式に臨む意義は何なのでしょうか。たとえ表彰物にあずからなくても、常習的に嘘を吐く指導者層は、「汚れた,非聖書的な,もしくは偽善的な行ないをするものは、キリストの犠牲とその目的,その意味を認識していないことになります。その犠牲に対して不敬と侮べつを示していることになるのです。そのような状態で食べるとすれば,その人は自分に対する裁きを食べまた飲むことになります。」の原則の適用を免れるとでも思いあがっているのでしょうか。
常習的に嘘を吐く、そのような状態で主催し、出席すれば救われるとでも思っているのでしょうか。それが一般的に言う「外見を整えるだけで救われる」ということなのです。
「この者どもが嘘を吐いた連中か?」と聴衆の中に思う人もきっといることでしょう。そう思われながら演壇に立てるほど良心に焼き印が押されているのでしょうか。
厚労省から質問されて世間でエホバの名を貶めながら、いったいどういう良心でいるのでしょうか。聖書の中では「祈りを捧げる前に、兄弟たちと和解しなさい」とキリストは言われましたが、広報の回答は元信者と和解していますか、それとも切り捨てましたか。「YES・切り捨て」の本性丸出しではないですか。
彼らは指導者ではなく、「死」導者たちです。