ものみの塔日本支部は「迷い出た羊」を救うためにではなく、殺処分をするために各会衆の長老たちを用います。
近頃は自然離脱すら許さないようですね。そのために「失われた羊を探す羊飼い」を装って、いかにも親切心から非常に丁寧な物言いで集会に来なくなった信者のところへ長老たちは出向きます。
そこでつい今の心情を話そうものなら、長老たちは羊飼いの仮面を取り去り、“霊的”殺人者に豹変するのです。
なるほど離れた人に組織に戻るようにと、「愛ある」態度で近づく長老たちはいます。その態度は極めて冷静で思いやりに満ちた言葉を並べます。しかしながら離れた人の中には、聖書によって培われた良心ゆえに組織崇拝に戻ることはできないと思う人も大勢います。組織の悪に嫌気がさして離れた人もいます。これらの人は「悔い改める」理由がありません。
では「迷い出た羊」が訪問した長老に心を許して、組織を信頼できないことを告げるとどうなるでしょうか。
普通の宗教組織なら、それ以上もう何もすることはないと思って引き下がるでしょう。
しかしものみの塔は違うのです。温和な表情の長老は豹変し、今度は死刑執行官のように鬼になり、完全忌避ができる断絶や排斥処分にします。
これが「迷い出た羊」を「救うため」ではなく「殺すために」探し回るという意味です。
「そんなことはない」というでしょうか。いやいや「そんなことはないことはない」のです。
典型的な例は心臓に病を抱えた人への組織の対応です。この人はブログなどSNSで組織批判をしていました。ある時心臓の病を発症し入院しました。それだけで現実に命に係わる重大事で、普通なら「霊的兄弟」はその病状を気遣い、その人にストレスがかかるような真似はしないでしょう。
普段から組織に対しての疑問を長老団の一人に訴えていたこの人の言葉に理解と同情を示す長老もいました。
しかしある長老がこの人物を放置できないと思い、退院後に会合を設け今の心境を尋ねました。この人はあまりストレスのかかることはしたくなかった製菓「もし断絶処分にしたければしていいでしょう」と言いました。その言質を取った長老は「兄弟の望む通りに断絶処分にします。」と言いました。こういう場合この人は真に「断絶を望んでいた」といえるでしょうか。
このような扱いでも心的ストレスが加わり、再度入院する事態になって生死の境をさまよったときに、この長老のパワハラ、モラハラは表に出てくるでしょう。文字通り死を迎えても責任を感じることはないでしょう。
むしろこの長老はそのような処分を下したことをむしろ「組織を清めた」と満足しているでしょう。これこそサイコパスですね。確信犯です。
そういう長老を養っているのがものみの塔統治体&日本支部なのです。
*「羊 殺す」で画像検索するとショッキングな画像が何枚か出てきました。中には宗教儀式として行っている場合もあるので画像を加工掲載するのは控えました。
