「組織に不満を持つ元関係者からの悪影響から集団を守る」は迷い出た一匹の羊を探す羊飼いとは真逆 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

ものみの塔日本支部広報のメディアに対する回答は彼らの組織崇拝がいかに信者をすりつぶしているかがよくわかります。そしてそれはキリストが牧者に対して求めた資質を全否定するものでした。ものみの塔日本支部がいかに非聖書的かを聖書から指摘します。ものみの塔日本支部(代表乳井健司)は牧者としての資質を全く備えていないことを示しました。

 

ルカ15:1-7の「迷い出た一匹の羊」の喩えは有名です。

 

さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。

するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。

そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、

家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。

よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

 

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先ごろものみの塔日本支部は「組織に不満を持つ元関係者のコメントのみに基づいて歪んだ報告や誤まった結論が出されていることに私どもは心を痛めています。」と述べました。そしてこの度は「排斥者や断絶者からの悪影響から集団を守るために引きをする」と述べました。つまり「組織に不満を持つ元関係者「排斥者や断絶者」になるのです。排斥者や断絶者は「エホバの証人ではなくなった人」だからです。

 

「迷い出た一匹の羊」も集団に不満を持ったのかもしれません。では羊飼いが迷い出たことに腹を立て、もし「あんなのを探しに行ったら、他の99匹がバラバラになる。またその一匹の姿を見て集団からさらに迷い出る羊が出るかもしれない。だからそんな羊がいかに泥だらけでやせ細っても放置するしかない。皆の眼に触れないように高い壁を作るしかない。」とでも思ったらどうでしょう。キリストはそれを戒めたのです。それは当時の宗教指導者の態度だったからです。

 

迷い出た一匹の羊はキリストの喩えでは「罪人」です。その罪人をキリストは忌避する態度を持ちませんでした。集団=組織を保護するなどと口実を設け、責任を放棄しませんでした。

 

例えばものみの塔日本支部に電凸する「元関係者」に対する広報や組織内部の人の対応はそういう羊飼いとは真逆の精神です。それを培わせたのは「忌避は正当、話もするな」という原則があるからです。

 

私は元HLC委員が排斥になったのは少なくともその時点では不当な裁きだとは思っていません。自業自得です。しかしながらその後彼の電話に対する組織側の人間の対応は「もうこれ以上お話しすることはありません」というもので一貫していますが、それは「迷い出た一匹の羊」を探しに行く羊飼いとは全く異なる冷淡なものでした。

 

一匹の羊を探しに行くと悪影響を受けるというものであるならば、羊飼い自身が道を知らないことになります。集団を守るとは、迷い出た一匹の羊の影響を受けるということでしたら、そもそも羊飼いがまともに牧していないので、形だけは集団の中にいても不満を持つほかの羊が同調することを恐れていますので、牧し方そのものに問題があるということです。

 

悪影響を恐れる牧者は、自分の牧羊方法に自信がないのです。99匹の羊を信頼しているからこそ一匹の羊を探しに行けるのですが、壁を設けるのは99匹の羊をも信頼していないからです。それは羊飼いが100匹の羊すべてに対し正しい牧羊をしていないからです。