2022年5月8日のNHKスペシャルではヤングケアラーのことが取り上げられました。
私はこの中でカズヤ(仮名)という人物に注目しました。この方は約30年間母親を介護し、進学、就職などをあきらめなければなりませんでした。母親は亡くなるのですが、ではその後カズヤは母親の介護から解放され自由にのびのびと生活できたのでしょうか。
「生きる理由がなくなった。お母さんが亡くなって、僕も終わった」
私はこの言葉を聞いたときに「この人と母親は共依存関係にあったんだな」と思いました。
この方は母親が亡くなった後、介護から解放され、自由にのびのびと生きることができたでしょうか。
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カズヤさん(仮名)に初めて会ったのは2020年、41歳の時でした。カズヤさんは小学生の頃から、母親が亡くなった5年前まで、30年介護を続けてきました。食事は、パンや野菜ジュースをミキサーにかけたもの。介護のストレスから摂食障害となり、固形物を食べられません。母親のために作っていたミキサー食。今は自分用です。
カズヤさん「今はもう、生きているために食べている感じです」
思春期を介護に費やしたカズヤさん。進学も、就職も諦めざるを得ませんでした。
カズヤさん「普通だったら、会社に入ったり、サラリーマンとか、そういうのが普通かなと思ってたんですけど。でも一日を乗り切ることで精いっぱいで、自分のことは考えてなかったですね」
カズヤさんは、父親を早くに亡くし、祖母、病気がちな母親、2人の面倒を見ていました。
カズヤさん「お母さんとおばあちゃんと3人で暮らしてきたので・・・大切な時間ですね」
とりわけ大変になったのは、カズヤさん25歳の頃。母が大腿骨を骨折し、寝たきりになりました。精神的にも不安定になった母。医師やヘルパーの関わりを拒むようになったのです。
カズヤさん「ほとんど僕しか触らせてもらえなかったんで、トイレ介助とかも僕がやってたんですけど、大変でしたね。僕がいないとお母さんも困るという、そういう使命感みたいな物があったんですけど」
5年前、カズヤさん38歳のとき、母は亡くなりました。介護からは解放されましたが、カズヤさんは家の外に出ようとはしませんでした。
カズヤさん「ずっと2人で助け合って生きてきたので、僕だけ1人残ってしまって、生きていることが、卑怯なことみたいな感じがして・・・。自殺するのが正しいことなんじゃないかって、だいぶ悩んでいた時期があって」
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ではこのカズヤから母親が存命中に母親を奪うことはカズヤにとって幸福になるとでも、西田公昭は言うでしょうか。それは非常に残虐な行為なのです。カズヤが母親をどれだけ愛しているかを理解せず、カズヤと母親にしかわからない絆があることも理解していないのです。
カズヤさん「自分も体調が悪く体重が60キロから35キロになり、胃潰瘍、摂食障害と診断されました。経済的にも苦しく、母が寝たきりになって、医療費の負担が大きく、どうにもならなくなりました」
これだけに注目して端から見て「大変だな、施設でも入れればいいのに」と簡単に言うでしょうが、それは実に助けにならない言葉なのです。そういう無理解な人間がいるから相談できないのです。
これはカルト信者の心境と重なるのです。
脱カルトなどというのは強固に結びついた二者を無理やり剥がす行為なのです。無神論者で、宗教に対して全く何もわかっていない西田公昭が「カルトの自由はない」というのは強烈な偏見に基づいているのです。こういう人が分断や差別を生み出すのです。心理学者なら「共依存」は知っているはずなのに、それは知識として知っているだけで、応用ができないのです。知識はあっても知恵がないということです。脱カルト協会などというのがいかに無責任で胡散臭いものであるかがわかります。
「生きる理由がなくなった。奉じる宗教がなくなって、僕も終わった」という人を大量生産するからです。