おせち料理 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

クリスマスが終わると一週間後にはお正月であり、この時期はあわただしい。と同時に組織にいるころは面倒くさい時期であった。


特に日本におけるお正月は神道と関連しているようなので、そのすべてが何やら宗教じみているようで極力避けるようにした。これが親族や友人を遠ざける一因となったのは歴然たる事実である。


しかし・・・


おせち料理について考えてみる。おせち料理とはいわゆる縁起ものである。様々な料理にはそれぞれ意味がある。


https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/osechi/iware.html


とは言いつつも「縁起担ぎ」というものにしてもひとまとめにする傾向があるが、やはり意味合いの違うものがある。「茶柱が立ったからいいことがある」などというのは何の根拠もないいわゆる迷信である。しかしおせち料理のそれぞれの材料には、こじつけがあるとはいえ、それなりの意味がある。そしてそれらはすべて「作る人」が「食べる人」への幸福を願う愛情表現に他ならない。つまりおせち料理は「愛」なのである。無病息災を願い、安寧を願うものである。つまりこれはアガペー愛なのである。妻が家族に、親が子に、先祖が子孫に愛を示すものである。したがって「茶柱迷信」とはまったく趣を異にする。


きれいな心で他の人の幸福を願うものであるならば、それは素晴らしいことだろう。


「こじつけによる幸福を願う」というこの種の縁起担ぎがもしとがめられるものであるならば、例えば命名にもそれは適用されるはずだ。しばしば聖書中には英語での「J」に匹敵する命名がなされる。やはりそれはエホバに因んでだろう。また「マタイ→マシュー」、「ペテロ→ピーター」、「ヨハネ→ジョン」、「ルカ→ルーク」、「マルコ→マーク」、「ダビデ→デイビッド」、「テモテ→ティモシー」、「ステファノ→スティーブン」、「サムエル→サミュエル」などはすべて聖書中の人物に因んでいる。カトリックの司祭聖アントニオに因んだ「アンソニー」もそうである。「ジェフリー」の語源には「神の平和」という意味があるそうだ。


お気づきだろうか。青字はすべて統治体メンバーである。「こじつけによる幸福を願う気持ちを忌避する」ならば、彼らは改名をしなければならない。何の業績も残していない赤ん坊に込めた親の願いを嫌悪しなければならない。ましてや各人は自分の名前の語源となった聖書中の人物とは真逆の精神態度を示しているのだからなおさらそう言えるだろう。


正月料理には雑煮もある。雑煮には『神様にささげた餅』を神様とともに食し、豊作繁栄を願うものである。まさに神事である。


ベテルでは正月に雑煮が出ると聞いた。


「は?」


・・・


正月料理の縁起担ぎは悪いことではないということだ。


おいしくいただきましょう。