クリスマス休戦 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

クリスマスがキリストの精神を表すものとして非常に顕著なものにこの「クリスマス休戦」というものがある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E4%BC%91%E6%88%A6


戦場にいるすべての人が敵を殺しがっているのではない。むしろ逆だ。『戦争における「人殺し」の心理学』という本によると、第二次大戦中において、接近戦を行なった、ある歩兵中隊に対する米軍の調査によると、実際に相手に向かって発砲したのは全体の10~15%であるということらしい。言い換えれば兵士の80~85%は発砲していないということだ。調査する部隊によって結果は変るだろうが、それでも意外な結果だ。戦争末期に無防備で逃げ惑う日本人を子供も含めて機銃掃射する米軍戦闘機の映像を見たことがあるが、実際そういった屠殺をする軍人のほうが少ないのだろう。


戦場にいても、本当は人を殺したくない。それが本音だろう。自己の意志を捨てるように訓練されている軍人でも人である。


そういう事情があるので、クリスマス休戦における英独双方の軍人が、クリスマスソングをきいたときに人間としても心を蘇らせたのだろう。のちのこれは非難されることになったが、それでもこの時に敵とサッカーをしたりして友好の場を持った軍人たちは生涯忘れ得ぬ思い出に持つことになったことだろう。


組織にいたころは「戦争をしているくせに、たった一日だけ休戦するなんて偽善的だ。」と思っていた。しかし戦場に駆り出された人たちの多くはやむにやまれず、そしていやいやながらその場にいたわけだし、その人たちの心に一抹の人間としての心を呼び覚ます機会となっていたとするならば、その人たちにしかわからない葛藤があり、きっと苦しんだことだろうと思う。


大罪を犯し刑柱に架けられた一人の死刑囚が、キリストの横で神を賛美した。キリストはその人に向かって「あなたはパラダイスにいるだろう。」とおっしゃられた。そういうキリストの慈愛を思い出し、それに縋(すが)ろうとした軍人もいたかもしれない。


クリスマスがそういう日になるのであれば、咎める気には全くならない。むしろ良い日だ。思い起こしたキリストの精神がその日だけに限るものとはならないだろう。