ではアメブロ会衆も全否定するのはどうか、そこで覚醒した人もいるのではないかという質問もありましたが、
このことに関してもsphereさんは次の言葉はわかりやすいものです。
「u-chanさんへ」の記事コメント36で
それから、エホバの証人の布教は日本では合法的なものです。
断られたら帰ります。
ピンポン鳴らされることには迷惑しているかもしれませんが強引な押し売り布教をしたことも不退去罪を犯したこともありません。
社会のルールに違反したことはありません。
断るも聞き入れるも研究するも集会に来るもバプテスマを受けるも決定権はその人にあります。
首に縄をつけて無理やり引きずり出したりしたことも、恫喝したことも、催眠状態に陥らせたことなども一度もありません。
同69
しかし前述の通り、エホバの証人の布教活動は合法的であり、大人しいものです。拉致監禁したり恫喝や暴行を加えたりして従わせているわけではありません。
このことで考えると実際アメブロ会衆でルール違反を犯した人たちとは完全に異質だと思います。名誉棄損は親告罪ですので、本人が訴えない限り罪は確定しません。しかしそれをいいことに「違法だと決まったわけではない。」と主張するのは良心に焼印を押された者の考えです。
現にテロや、放火、殺人を期待し恨みを晴らさんがために集う負の感情を持った不穏な集団と、WT組織に集う人たちの集団とはその目的において根本的に異なるものです。
統治体が決して謝らないことを揶揄する前に、ルール違反を犯した自分たちこそ絶対謝らない集団であることを理解しなければなりません。しかし…それは無視です。
アメブロ会衆の本質はWT組織と酷似しているどころかむしろそれよりも悪いというのが私の認識です。そこを愛する人もゼロか100かの価値判断から抜け切れていないのです。アメブロ会衆を全肯定しているからです。自己批判できないのです。
これはWT組織で培ったゼロか100かの価値判断習慣から抜け切れていないからです。
sphereさんの先のコメントの中略部分ですが、
だからエホバの証人はすべて不健全だと極端な思考をもったままそんなところに引き寄せられるとますます危険ではないかとも思います。
恨みつらみにつけ込まれる可能性があります。
とはそういう意味だと思います。
WTで培った価値判断習慣をそのままそっくりアメブロ会衆に持ち込んでいるのです。
結論部分の
JWには間違っているところもゴミのようなところも良いものもある、JWに対してもそう考えられるようになれていることは、それこそJW的思考から解放されている証だと思います。
つまりこれはアメブロ会衆に対する認識にも表れるものであり、自分たちがアメブロ会衆への帰属意識がある限り、批評ができないのは真の「覚醒」に至っていなと私は指摘しています。
ではいつ覚醒するか。組織から離れた理由が削除や排斥で教理教義でないとしたなら、おそらくアメブロ会衆を批判した時にアメンバーを切られたり相手にされなくなったり誰もコメントしなくなってりして事実上の「排斥」を食らった場合でしょう。
でもその人はおそらくまた自分を受け入れてくれるコミュニティを求めてさまようでしょう。
でもそれが怖いので皆に同調せざるを得ないのです。
私が原因でアメブロをやめた人が多いということですが、確かに私の存在がなければみなさんは「一見」和気あいあいと過ごしたかもしれません。
その意味ではどういう集団かを指摘する私は今ではWT組織以上に憎しみの対象ですかね。
それゆえそういう表現を使って私を悪者にしようとしているようですが、私の知る限りはアメブロ会衆にうんざりしてやめた人が多いです。
まあ、多いかどうか知りませんけどね。
私が謝らないということですが、私は事実に基づいた分析をしているのであり、むしろ私の主張の正当性がアメブロ会衆の方々の記事やコメントで証明されいる気がします。
私はsphereさんに対してはいちどひなまつりさんに対するコメントが厳しいと判断しその点を指摘しました。
それは決して中傷ではありませんでした。
正直言ってsphereさんに削除してもいいかメッセで送ろうと思いましたが、
まずsphereさんの良識を信じコメントでの指摘をしたうえでどう対処されるかを見たいと思いました。
それでsphereさんがどういう方であるかがわかるからです。
個人的にはコメント者の質もブログの質だと思っています。
私の記事コメントでは
「ブロガー各位の品位低下については、私も嫌っています。」と言っておきながらも、
削除されたコメントもブログ主自身の意志ではなく、他の人から依頼があったというだけの理由で削除しました。
つまり品位低下でも自分の味方であるならば中傷ではないと言い切って、是認するわけです。
私は私以外の人に対する罵詈雑言を放置することはありません。
結局その人の口を借りて言わせているにすぎないからです。
しかし私のそういった価値観も私が組織に交わって培った部分も大きいと思います。
そしてそういった価値観を人にも伝えてきました。
それは決して懺悔すべきものではないと思っています。
自分がもし聖書と組織の中でいなかったなら今頃は塀の向こうにいたかもしれません。
また身体を壊すようなことをしていたかもしれません。
文字通り覚せい剤を使用しえいたかもしれません。
AIDSになっていたかもしれません。
少なくとも今の誘惑の多い世の中でその餌食になっていた可能性を否定できません。
ほとんどの人は結局罪を犯すかどうかは綱渡りのような生活を送っているのではないかと思っています。
野外でお会いした警察官が言っていましたが、今の日本で生涯中に一回でも豚箱に入る人は約3割だそうです。しかしそれは残り7割が潔癖な人というものではなく、あるいはばれなかったりあるいは一歩手前で自制している人が大多数であるということです。
いつ切れるかもわからない糸でつながれているようなもんです。そんな中で安全に暮らす道を私は組織で学びました。そういう意味で聖書の原則に基づく生き方を知ったことは神に感謝すべきものです。
2世は事情が違うとは思いますが、あくまでも私個人に対する質問にはそう答えざるを得ないものであり、それは汎用性のあるものではありません。
ただあのような要求は論理的には最終的には2世に対しても、幼いころに学んだことはカルト宗教の教えだからと言って懺悔しろというという事に行きつきますから、実際は2世の方々の自尊心を破壊することになるという事を見逃してはなりません。
私が組織批判をしている基準は、組織で押せられ納得しそれで培った価値観であり、それを使ってダブルスタンダードである組織を測っています。
ゼロか100かの答えを要求されてもそれこそがWT的思考であり満足のいく答えを私が提供することはないでしょう。
私は「分けている」と思ってます。