組織は高等教育で得られる知恵などよりもJWの集会や大会のほうがはるかに優れた知恵が得られるといいます。
さてこんなことがありました。
巡回大会においてマドレーヌを提供するという発表がありました。
そして提供するマドレーヌは各会衆で準備しそれを大会で「売る」わけです。
どういうこと??????
こういうことです。各会衆には紙切れ一枚のレシピが送られ詳しい作り方が書いてあります。
そして材料費はすべて会衆の負担です。
そしてそれが大会会場で並べられ欲しい人はそれを改めて寄付を出して購入するわけです。
組織は紙切れ一枚で材料費も負担せず、お金を巻き上げることができます。
「なんで自分で作ったものにお金を出さないといけないの?」と言った姉妹に
長老は優しく「あまり深く考えないことですね。組織には考えがあるんでしょ。」と言いました。
そりゃあるでしょ。
完全寄付制が導入されたころ野外でこういう証言をするよう勧められました。
家の人が出版物の価格を尋ねたときに
「この本は無償でお配りしていますが、もし私たちの世界的な技にご賛同いただけるならばその寄付としてお預かりすることができます。したがって価格が決まってはいないのです。いくらでも結構ですよ。」
この回りくどい表現が嫌だったですね。
そして得られたお金は世界的な技のために全額会衆の寄付箱に入れるようにという指示です。
一方で伝道者が出版物を回収のざいっしや文書カウンターで手に入れるときには従来通りの寄付額を念頭に置いて寄付額を寄付箱に入れるというものです。
「これって二重払いと違うのか」とぼやいていた人がいました。
さて世界的な業の寄付の中には「旅行する監督の費用を賄う」という項目もありました。
しかし今は旅行する監督の車購入のために別枠を設けてしかも決議で寄付を募ります。
そして必ずこう締めくくります。
「この新しい取り決めの上にエホバからの祝福がありますように。」
ま、ないでしょうね。
こういうのを神の名をみだりに使うということなんですよね。
高等教育を否定し世の知恵をさげすんでいる組織が行き着いた先がこういう知恵を振り絞りだしているわけです。
これが優れた知恵というわけですかね。
私はこんな知恵はいりませんね。思いついても実行しませんね。