さてその難関4年制大学を推奨するものを長老に推薦しないというのは
明らかに長老の資格に加えられたものであり、
聖書解釈のアレンジで片づけられるものではありません。
いったいテモテやテトスの長老の推薦条件のどれを適用すればこの条件が生まれるのでしょうか。
どの条件にも合致しません。新たな条件です。
むしろ長老の資格には「周囲からよい評判を得ている。」というものがあります。
これには会衆の内外が含まれます。
仮に親が未信者で大学進学を勧めた場合、それに逆らうのは自分を生んでくれた親に対して全く模範的ではありません。
親を愛するのなら親を躓かすべきでないのです。
2世は事情が異なりますが、大学進学拒否で周囲の人が躓くのならば考え直すべきです。
そもそも難関4年制大学の受験勉強と進学で崇拝を捨てるようであるならば、
その崇拝はそれだけのものにすぎなかったということです。
大学で不道徳に陥る人は大学へ行かなかったても陥ります。
時期の問題だけです。