師を思う。 | アーシングエブリナイト

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10年間、夜は導電性シートを使ってアーシングをしながら寝ています。目覚めた時、ゼロボルトの脳とカラダは純正の私そのもの。紡ぐ言葉も私そのものでありたい。

私には、師と仰ぐ人がいる。

文章の師でもある。

 

私が小手先だけで文を書いていた頃、師から、紙に書いた寸評をもらった。

そこには。

この文章の書き手は、自分の事を、他人事のように、驚いたり、喜んだりしている。何を思い、何を感じたのか、自分の心を、もっと掘り下げなくてはいけない。この文章は、読み手の心に全く響かない。

とあった。

 

私は、その場に立っていられないほどのショックを受けた。

師の言葉は、正しかったからだ。

師の言葉に対し、言い訳も自己弁護もなかった。

 

師は、いくつかの私の文章を読み、私という人間を冷ややかに眺め、これ以上つまらないものを書くな、と言ったのだ。

 

師はいつも言っていた。

自分にとって意味のある事を書きなさい、と。

自分にとって意味のある文章とは、自分の中にある気付きを言葉にすることだ。

自分の中にある気付きとは、私にとって、過去と向き合うことから始めなければならなかった。

私は自分の体を覆っていた薄皮を、剥がそうと思った。

その努力をしようと思った。

しなければ、私の人生が「手遅れ」になると思った。

 

私は、一歩一歩努力を重ねた。

師の評価は、大体において手厳しかったが、時に優しかった。

 

師から離れ、数年後、師の訃報を聞いた。

大きな悲しみはなかった。

これで、誰に遠慮もなく、師を思って生きれる。

そう、感じたからだ。