私には、師と仰ぐ人がいる。
文章の師でもある。
私が小手先だけで文を書いていた頃、師から、紙に書いた寸評をもらった。
そこには。
この文章の書き手は、自分の事を、他人事のように、驚いたり、喜んだりしている。何を思い、何を感じたのか、自分の心を、もっと掘り下げなくてはいけない。この文章は、読み手の心に全く響かない。
とあった。
私は、その場に立っていられないほどのショックを受けた。
師の言葉は、正しかったからだ。
師の言葉に対し、言い訳も自己弁護もなかった。
師は、いくつかの私の文章を読み、私という人間を冷ややかに眺め、これ以上つまらないものを書くな、と言ったのだ。
師はいつも言っていた。
自分にとって意味のある事を書きなさい、と。
自分にとって意味のある文章とは、自分の中にある気付きを言葉にすることだ。
自分の中にある気付きとは、私にとって、過去と向き合うことから始めなければならなかった。
私は自分の体を覆っていた薄皮を、剥がそうと思った。
その努力をしようと思った。
しなければ、私の人生が「手遅れ」になると思った。
私は、一歩一歩努力を重ねた。
師の評価は、大体において手厳しかったが、時に優しかった。
師から離れ、数年後、師の訃報を聞いた。
大きな悲しみはなかった。
これで、誰に遠慮もなく、師を思って生きれる。
そう、感じたからだ。
