役割 | らくがき

らくがき

書きたいときにつらつらと。
大人向け。

愚痴っぽい感じなのであまり読むには適していないかも。


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私が仕事で大切にしていることはたぶんいくつかあるんだけど、そのうちのひとつが「役割を全うする」ということである。それぞれの役割を全うすることで組織の秩序が保たれると思っているからである。


たとえば、「数学のテストで合格点をとる」ことが求められている人が、塾で何時間も一生懸命に後輩に英語を教えている。みたいなことが世の中ではよく起きる。(比喩ね)「あなたには数学をがんばってもらいたいので、後輩のことは放っておいて後輩本人に勉強させてください」と言って「たしかにね」となればよい。だがしかし「後輩が困っているのを放っておけません!私は正義感があるのです」とか「私は英語好きだし教えるのは苦ではないんです」といった反応が返ってくることがある。

そうじゃないんよ。きみの目標達成がきみにとって一番大切なことなんだぜ。

それでも数学で合格点をとってくれればいいのだが、こちらのメッセージが届かないケースでは「合格点をとれませんでした」みたいになることも決して稀ではない。私自身もそう。


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実際に何を意識するようになったか。例えば、簡単な作業はなるべく人にお願いするか分担を依頼するようになった。なぜなら私に求められる役割はそこになく、誰にでもできることだからである。


簡単な書類のスキャン、受付や見送りの対応、読めばわかるような文書の解説、ちょっとした相談などを自分より上の世代は安易に人に声かけすることがある。現代風にいえばアンコンシャスバイアスのせいなのかもしれない。そういったお手伝いに気軽に応えてくれる人を「優しい」「助け合おう」みたいなカルチャーの会社もあるだろう。私も以前は応じていた。でも最近は断るか、分担を提案するか、責任の明文化を求めるようになった。


協力体制をとることで信頼関係が深まる、というメリットがあればあるいは続けていたかも。でも実際は、次第に私がすることが当たり前になりむしろ要求が増していったのである。


会議のない昼食時間や帰り際に声をかけられ一時間二時間と話に付き合う。私自身の考えやアイデアを尋ねられるから真摯に答える。ストレスを抱えている様子だったときには辛抱強く話を聞く。

来客時には「暗黙の了解で」配布書類の印刷、資料のスキャン、見送りを私が担っていた。

苦ではないしいちいち上司に報告することでもないだろうと善意で行っていた。まさに「私は英語好きだし教えるのが苦ではないんです」パターンである。


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さて相手はどうなったか。感謝どころかすべてが当然のことになっていく。

私の時間を相当使ったが、私が伝えた考えや表現をあたかも自分が一人で思いついたように表に出すようなことも少なくなかった。

来客時も、若い男性社員と会議室で談笑して私が戻ってくるのを待っているだけなのに気づいた。「次からは分担しましょうか」と言ったら自分でやるようになった。やはり役割や責任の所在を明確にしないといずれ甘えが生まれるものである。


業務上対立する立場をとる時になった場合はどうか。

これまでのことなどまるでなかったかのように振る舞う。不信感を示されたことすらある。よくよく周りを見れば、向こうは各所と小さなトラブルを繰り返している様子。触らぬ神になんとやら、かも…


私は数学の勉強をすべき時間の一部で先輩のパシリをやっていたようなものなのかもしれない。


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一方、上司はどうか。人間なので気分が良い日も悪い日もあるのはみな同じだ。だが、上司という存在は、部下に感謝を示し、能力を発揮する機会を探してくれていて、厳しい一面もあるが部下を信頼し尊重してくれる。仕事は楽ではないがこれは大変恵まれたことだ。他人の世話をするよりも自分の上司が求めていることを達成するための時間を確保しようと思うようになるのは自然なことである。


よく考えてみれば、上記に費やしていた時間が無くなると私の時間はとても増えるのである。つまり、きちんと休めるようになったし、本分に集中できるようになった。


つづく