不用品は必需品。

不用品は必需品。

0123のブログですだ。某引っ越しセンターじゃないんだからねっ!な日常。

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気づけば3か月も経っているじゃないか

その間何をしていたかというと、仕事の関係の試験を受けたり・・・え、何していたんだ

というくらい記憶がありません

よくわからないけど気づいたら年末です

時間がこんなに無意識の中で過ぎ去っていくなんて

もっと大切に使わないと

仕事もなかなか覚えられなかったり、要領よくできなかったりというのをひしひしと感じ続けていたと思う

なにができるんだろうと考え続けてる日々なんだけど、たまにゃ息抜きも必要ですね

休みの日にはゆっくり休んだりとか、メリハリが大事だなぁ

仕事との切り替えが上手くできなくて汗

あと、外にでて人との関わりがほしい

はやくコロナがなくなっちゃえばいいのに

読もうと思って丁寧にブックカバーまでつけていたのに、読まずに引き出しにしまいこんでしまっていた本。ついに手をつけ読み終えた。

昔、ドラマか映画か何かで見た記憶が微かにあってなんとなく話を覚えているようなそうでもないような、そんな状態で読み始めた。

 

作られた話だとは知っていても、1人1人の人となりやそれに基づいた行動、もっとも大切にされた主人公の自身の変化に伴った心情変化の描写にリアリティを感じた。

読み始めは、読みなれない文章に多少戸惑ったが、それ自体が主人公の状況の説明でもあることを理解することには時間はかからなかった。

結末は全く覚えていなかったので、改めて最後まで読んでみると、変化していく主人公に戸惑う周囲や主人公自身に、途中からなんだか胸がつかえるような思いを抱いた。しかし最後には、これでよかったのだという主人公の意思や覚悟も感じられて、少しだけ私自身がシャキッとさせられて救われた気もした。

 

わからないということとは、頭が良いとは、やさしさとは、わからなかったことがわかるようになるということは、愛情とは、しあわせとは。

 

題材がセンシティブなので、いろいろな感じ方をされる方もいるかもしれないが、著者はきっとそういった(主人公のような)人々に寄り添う思いで、その立場に立ちながら書かれていたのだろうと推察する。

相次いで仕事の話になってしまうが、コロナ禍のためあちこちに出かけるわけでもなく(1人でドライブくらいは良いのかもしれないが)、するとしたら人の少ないカフェでこっそりひっそりコーヒーを飲みながら本を読んだり、家でギターを弾きながら(ド田舎なので外で歌おうが構わない)1人カラオケごっこをするくらいなので、文章で書けるのがこれくらいのことで。

 

私は真面目だ。馬鹿がつくぐらい真面目だから、上司や先輩方に言われたことはもう治せることならとにかく早く直していきたい。

この本を読みだしたのも齋藤孝さんの読みやすい文章というのもあるのだが、自分自身があまり伝える、説明するということが得意ではないということがあってだ。

小学生のころは、たとえば同級生や下級生にその子たちが知らないことを教えるということは結構好きなタイプではあった。

たとえ話が好きだった。これを伝えるのには言いかえればこういうこと、とかそんなことを考えるのが今でも好きだ。

人からそういう話を聞くのも好きだし、自分の知らないことも何か他の自分の身の回りにあるような物や事柄に似ていたり、仕組みが同じだったりするっていうのを知るのが楽しい。

でも、それだけでは相手に伝わるかどうかというのはわからない。

自分が理解することと、相手に伝えようとすることが別のことであるように

自分が発することと、相手が受け取るということは全く別のことだ。

そのため改めて説明する力を身につける方法を見つけるべく、この本を手にしてみた。

 

この中では、説明していくなかで大切な3つの要素と、その要素を説明の中で取り入れていく方法について書かれている。

要素一つ一つが何故大事であるのか、それらを生かして自分の中で鍛えていくととどうなっていくのか、また鍛える方法についても、例によって説明されている。

こういった本を書くということも、説明の大切な要素となる部分を意識されているのだなと、読みながら感じた。

あと、興味深く感じたのが説明する相手によってその方法や説明するための題材を変えると伝わりやすいということと、その表現方法も様々にあるということ。

自分が伝えたいことを端的に、相手が受け取りたいことを感じとりながら伝えられる力をつけたいという気持ちがまた湧いてきた。