私にとって「“お金”が欲しい」とはどういう事か?
どうやったら“お金”を自分から貰える(自分に与えられる)のか?
“お金”を得る為に働く必要は無い。
“お金”はタダで配っても良い代物だ。
…と、今の私は考えているのですが、やっぱりこれらを解決する方法は「“お金”を感じる以外に無い」と思います。
そこで、私は「“お金”を感じたい」と願いました。
結果が出てから…つまり、“お金”を感じられてから記事にすべきなのでしょうが、一応この形も新しい発見の1つなので、備忘録として書き留めておこうと思いました。
新しい発見とは、私の正しい願い方は「○○が欲しい」という願い方ではなく、「○○を感じたい」というものであった…という事です。
「○○が欲しい」という形だと、どうしても「何か変だな」と感じてしまいます。
私は目に見える形よりも、その中身を欲します。
その中身に相当するのが「感じられる」という事なのです。
だから、私としては何かを欲する時は、「○○を感じたい」とする方が理に適うのです。
「これが私の正しい願い方だ」と、今は思っています。
私には「感じる事さえ出来れば、何だって自分のものにする事が出来る」という自覚が有ります。
これは自信でも何でもない、ただの事実です。
しかし、それは同時に、「感じられなければ、この世の全ての富を手にしても、1円も持っていないのと同じ」という事実も意味します。
「この世の全ての富を放ってでも、内に“お金”を感じる事を願うのか?」という問いに、私は「はい」と答えるしかありません。
私にとっての“お金”は、「“お金”を感じられる」という事以外に無いのです。
理屈は完璧です。
私が“お金”を欲するなら、これ以外に手に入れる方法は有りません。
私が求めるのは純粋な“お金”です。
“高収入”とか、“○億円”とか、そういうものではありません。
“お金”としか言いようがないものを感じたいのです。
私が求めるのはそれだけです。