「純粋な“お金”」って何? | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

既に答えを得ているものを例えにしてみます。

 

女性で行きましょう。

 

まずは「純粋な“女”」で考えます。

 

これは私の“性欲”を指します。

 

「純粋な“女”とは何か?」の答えは、「私の“性欲”である」となります。

 

私が「“女”が欲しい」と思う時、「“性欲”を満たしたい」という意味になります。

 

「“女”として見ている」とは、「私の“性欲”が反応しているのを観ている」という事であり、「“女”としてのレベルは?」とは、「私の“性欲”がどれだけ強く反応しているか?」という事です。

 

それが純粋な“女”の本質です。

 

 

 

そこまで分かっていると、外に向かう時の最適解も分かります。

 

分かっているので、「行こう」と意図すれば何時でも可能です。

 

もちろん、今でも可能です。

 

その気になれば当日中に、それも早ければ2時間程度でそれが出来ます。

 

具体的に言うと、「純粋な“女”」を求めるなら、その最適解は風俗に行く事です。

 

外の世界に求めるなら、これ以上に確実で楽な手段は有りません。

 

 

 

次に「純粋な“彼女”」を考えます。

 

女性なら「純粋な“彼氏”」という理解でで良いです。

 

この本質は“恋”あるいは“好き”となります。

 

「“彼女”が欲しい」は「“恋”がしたい」、あるいは「異性からの“好意”が欲しい」という意味になります。

 

その最適解は、「女性が多い職場に勤める事」です。

 

「働くのが嫌」と言っている私には皮肉な話ですが、私の性質(書き出すと切りが無いので端折ります)を総合的に考えると、出会い系サイトやマッチングアプリでは駄目なのです。

 

 

 

“彼女”は“女”と違って、格段に難易度が上がります。

 

私にとって嫌な事をしなければならず、そもそも行こうとする会社に“恋”の対象になる女性が居るとも限りません。

 

だからこそ“恋”に落ちる事が出来るのでしょう。

 

 

 

最後は「純粋な“結婚”」です。

 

これはもう“愛”です。

 

「“結婚”したい」は「“愛”が欲しい」ですね。

 

「“愛”を知りたい」の方が良いかも知れません。

 

難易度的には“彼女”よりも更に上がります。

 

現象的には叶わぬ“恋”を突き抜けて、己を成熟させる必要が有ります。

 

 

 

…と、女性に関してはここまで揃っています。

 

これ以上の理解が有るかも知れませんが、私としては充分過ぎるので、意識的に求める事はしません。

 

私は“お金”に関してもそう成りたいわけです。

 

「純粋な“女”」の“女”は私の“性欲”を指しました。

 

“女”=私の“性欲”です。

 

“女”と“性欲”で言葉は違いますが、中身は同一であるわけです。

 

 

 

私な「純粋な“お金”を感じたい」と願いました。

 

それは、「一言一句違わず“お金”を感じるはずだ」という前提でした。

 

しかし、「純粋な“女”」は“性欲”でした。

 

“女”ではないのです。

 

でも、私は「己の“性欲”を指して、“女”と言っているのだ」と理解しました。

 

もしかすると、“お金”もそうかも知れません。

 

そう、例えば“贅沢”みたいな感じですね。

 

 

 

今は“贅沢”が少し引っ掛かるので検証しています。

 

果たして、“贅沢”は“お金”と呼べるのでしょうか。

 

“贅沢”は私の中の“お金”と重なるのしょうか。

 

既に“贅沢”で終わりそうもなく、「“贅沢”とは何か?」まで考えなくてはならなそうな気がしています。