“快” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

特定の物を思い浮かべると、とても気持ちの良いものを感じます。

 

その物自体は今日にでも手に入れられるのですが、もうしばらく感じていたいと思います。

 

このレベルの“快”が感じられるのは滅多に無い事だし、「それが何を示しているのか?」という事も模索してみたいのです。

 

それを手に入れた後にどうしたいのか?

 

そもそも、感じている“快”はどんな自分を示しているのか?

 

…という事を、です。

 

 

 

行動を起こすなら、きっと“今”なのかも知れません。

 

しかし、それでも私は放っておきます。

 

感じるものに乗っかるのではなく、感じるものをそのまま流すのです。

 

私はサーファーには成らず、波を眺めるだけです。

 

そうして、やがては“波そのもの”に成るのです。

 

 

 

この“快”は何でしょう?

 

何と言っているのでしょう?

 

それが“今”の私なのです。

 

私はただ、それを知りたいだけなのです。