“欲” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

羅列すればキリが無い程、人には実に様々な“欲”が有ります。

 

“欲”とは「人の行動原理それ自体」と言えるでしょう。

 

では、その“欲”が無くなればどうなるのでしょうか?

 

経験上、“欲”が無い事に関しては、自ら行動を起こさなくなります。

 

“無為”になるのですね。

 

 

 

例えば、私には“承認欲”がほぼ有りません。

 

「ほぼ」なのは、瞬間的な反応として起こる事は有る為です。

 

しかし、あくまで瞬間的な反応で終わるが為に、行動を起こすにまでは至りません。

 

それに対して騒ぐ自我も起こりません。

 

「何故そうなるのか?」という事を理解してしまうと、その事に関しては自我も起こらない様になるのです。

 

自我も起こらないので、思考も起こりません。

 

行動以前に思考も起こらないのだから、どうやっても「動けない」のです。

 

 

 

ここで本題に入りますが、「私が“今”感じているのは“欲そのもの”ではないか?」と思っています。

 

“承認欲”とか、“自己顕示欲”とか、“性欲”などの“○○欲”ではなく“純粋な欲”です。

 

いや、私にも分からない“何かしらの欲”なのかも知れませんが、現状では何の“欲”なのか分かっていないので、今回の記事では単に“欲”とします。

 

“今”、私にはその“欲”と呼べるものが在るのが感じられるのです。

 

思えば「“金”=“欲”」と言っても良い程、両者には密接な関係が見えます。

 

“自由”を求める事だって、突き詰めれば“欲”です。

 

“欲”を突き詰める事は、私が求める“悟り”に繋がるかも知れません。

 

 

 

私のスタンスは決まっています。

 

私は“欲”を否定しません。

 

「実行可能な事であれば、実際にやっても良い」と思います。

 

禁欲なんてもっての他です。

 

“欲”というものは満たすために在るのです。

 

 

 

やはり、“何かしらの欲”っぽいですね。

 

「何の“欲”なのか?」という事が気になり始めています。

 

それが“金”なのか?

 

それが“私の悟り”なのか?

 

“欲”に対する本当の関心はそれらに有ります。