“自由” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“金”とは何か?

 

そこを突き詰めると「“自由”という事になるのではないか?」と思います。

 

「ちょっと簡単過ぎないか?」と思う反面、「確かに言われて見れば…」とも思います。

 

“今”感じているものは少なくとも“自由”ではないし、「“自由”を得たいが為に“金”を欲した」と考えても特に破綻が見えません。

 

取り敢えず“自由”という線で進めて行こうと思います。

 

 

 

「“自由”を求めている」とするならば、「その反対を感じている」という事です。

 

“制限”でも“束縛”でも良さそうですが、ここでは“不自由”にしましょう。

 

この時点で結論は出ています。

 

“不自由”を受け入れる事。

 

それだけです。

 

“金”に求めたものが“自由”で、“今”感じているのが“不自由”なら、これで終わりです。

 

 

 

真の“自由”は何か?

 

それは「“不自由”である事」です。

 

「“不自由”で構わない」とか、「“自由”だろうが“不自由”だろうがどっちでも良い」という状態こそ、「真に“自由”である」と言えます。

 

逆に最も“不自由”なのは、「何が何でも“自由”でないと嫌」とか、「“自由”は受け入れるが、“不自由”は受け入れない」という状態です。

 

“自由”には“自由”をさせるのに、“不自由”には“自由”をさせないで、それの何処が「“自由”だ」と言えるでしょう。