“我慢” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“我慢”という言葉が出て来ました。

 

「“金”とは“我慢”の対価だ」と言いたいのでしょうか?

 

確かに一理有ります。

 

私は“仕事”というしたくもない事を“我慢”した結果として、“給料”という形でしか“金”を得た経験が有りません。 

 

「“金”は“我慢”しないと得られないもの」と思っていたとしても、不思議ではないでしょう。

 

 

 

私は「“我慢”を美徳だ」とは欠片も思っていませんが、ここは敢えて“我慢”を受け入れましょう。

 

その真意は「“我慢”の反対を得る為」です。

 

“我慢”の反対とは、「“今”の私が求めているであろうもの」です。

 

求めているものを得る為には、求めていないものを受け入れる必要が有ります。

 

自ら望んで進んだ道には「避ける」という選択肢は存在しません。

 

 

 

…とは言っても、“今”感じているものは“我慢”とは思えません。

 

“我慢”という言葉が出て来たと同時に、その反対に切り替わっているのかも知れません。

 

まあ、何でも良いです。

 

「感じて“今に在る”」で終わりです。