どうにも、梵我一如は私の“悟り”ではない気がします。
「求めていたものは“これ”だ!」という感じが有りません。
私の中に在るものと一致しているものとは思えないのです。
…となると、残っているのは“金”しか有りません。
悟り切らねばならないのは“金”の事なのでしょうか?
選択肢が1つに絞られた“今”なら、「“金”とは何か?」だけに集中出来るかも知れません。
私の中に“それ”は在ります。
感じられているものは既に“在る”のです。
結局、私のスピリチュアルに戻って来てしまいます。
もはや哲学とスピリチュアルの区別が出来ません。
“これ”は何と言っているのでしょうか?
まず最初の一歩を踏み出す為に、「私は“金”を知らない」という事を認めます。
本当に何の事なのか分からないのです。
“金”について「知らない(分からない)」と認識したのは、“今”が初めてだと思います。
これで無知の知、スタートラインに立てるでしょう。