“世界”とは端的に言うと“全て”です。
厳密には「認識主体を除いて」ですが、事実上“全て”と言って良いです。
その“世界”を丸ごと手に入れる方法が有ります。
私はまだ手に入れていないと思いますが、その手段は知っています。
それ以外に手段は無いはずです。
少なくとも私には。
それは、「これが“世界”だ」というものを感じる事です。
「“全て”を1つの言葉で正確に表現する」という事をやってのけなくてはなりません。
一見すると難しいですが、ゲームで例えるなら“ドラクエ”みたいな感じです。
そういうものを、“今”感じているものから見つけるのです。
客体に対してなら「感じて理解する」という手段が通用します。
そして、感じる事を通して主体がその客体を「自分だ」と認識すれば良いのです。
今度の客体は“全て”です。
今までと違って単品ではありません。
1つしか有り得ない主体が、無限に存在し得る客体の“全て”を「自分だ」と認識したらどうなるでしょう。
そこに主体と客体の区別が有るでしょうか?
本当の自分ですら消えてしまうのではないでしょうか?
私はそれを確かめたいのです。