“働く事”は「外に出てそうしよう」と思えば「嫌だ」と感じますが、それ自体は何か心地好いものを感じます。
「良く分からない不思議な感覚だ」と思いつつも、その心地好さに意識を向けながら「“働く”、“働く”…」と頭の中で繰り返していると、“活躍”という言葉が浮かびました。
私は即座に感じていた心地好さと“活躍”という言葉の突き合わせを行いました。
すると、「完全一致かどうか」は断ずる事は出来ませんが、現状では最も当て嵌まりそうな言葉である事は否定出来なくなりました。
私の中に“活躍”が在る。
「そういう前提で進めても良さそうだ」と判断する事にします。
すると、“働く事”は“活躍する事”と言い換えられます。
もっと縮めれば“働く”=“活躍”です。
「働きたい」は「活躍したい」になるし、「働きたくない」は「活躍したくない」という事になります。
そして、「働くとは何か?」の答えは「“活躍”する事」になり、「何の為に働くのか?」の答えは「“活躍”する為」になります。
「働きたい」という欲求は、「“活躍”したい」という欲求になるでしょう。
活躍したいが為に働きたいのだとするなら。
私の中に在るのが本当に“活躍”であるのなら。
私は既に“活躍”を得ている(“活躍”している)ので、その為に働く必要はありません。
働く事に留まらず、“活躍”する事はあらゆる活動の理由にならなくなります。
既に手元に在るものを得る為に、わざわざ外に出掛ける意味は何処にも無くなるからです。
これは「“活躍”に限らず、万事がそうである」と言える事です。
しかし、私のスピリチュアル・哲学はここで終わりません。
「私は“○○”である」という形にする必要が有ります。
「私は“活躍”である」というのでは答えとして成立しません。
答えとして成立させるには、性質・状態・要素を現す言葉に直す必要が有ります。
それを“活躍”の中に見出ださなくてはなりません。
“活躍”には多くの意味が含まれますが、その何れもがポジティブな意味です。
“活躍”と聞いて「失敗している」とか、「人に嫌がられている」とか、「貧しい」とかは思い浮かばないでしょう。
故に“○○”にはポジティブを意味する言葉が当て嵌まる可能性が大です。
“働く事”が私にとって超絶ネガティブであった事からも、それは疑う方が難しいでしょう。
“活躍”とは何か?
そこにどんな私が居るのか?
それが“今”の私が取り組むべき“仕事”です。