私の中に「働きたい」と思っている自分が居る事に気付きました。
「働きたくない」というのはその自分に対する抵抗に過ぎず、どうあがいてもその自分に逆らう事は出来ないでしょう。
なので、言う通りにしようと思います。
ただし、私なりの働き方で働きます。
その働き方をすれば、「働きたくない」と思っている私も、「働きたい」と思っている自分も納得出来るでしょう。
その働き方とは何か?
それは私の中で働く事、つまり「働きたい」という気持ちに対する反応を感じ、「何を感じているのか?」を知る事です。
この働き方をすれば、外に働きに出ずとも働く事が出来ます。
本質的に働く事が出来、働く事を通して本当に得たかったものを得られます。
「働く事自体に意味は無い」とする私の考えとも矛盾しません。
これなら働く事を避けずに済むどころか、積極的に働く事が出来ます。
感じているものはポジティブなものです。
私が思っていたものとは随分違います。
「良いか悪いか」で言えば間違いなく良いものです。
確かに、これなら働く事を強いられ続けたのも納得出来るかも知れません。
後は何を感じているか?
感じているものは何を言っているか?
それだけが問題です。
もう1つ、「“金持ち”ではない」にも思う事があります。
「何故“金持ち”ではないと言えるのか?」という事です。
“金持ち”がどういうものであるか知っていないと、「“金持ち”ではない」と言えないはずです。
それはつまり、「“金持ち”がどういうものかを知っているという事にならないか?」という事になり、「それを知っているなら“金持ち”も同然ではないか?」という事になるかも知れないのです。
これは「脳は常に逆を見る性質が有る」という事と、「何かを得るには、望むものの反対を受け入れれば良い」という事を知っていれば、充分に有り得る話になります。
「働きたくない」に対する「働きたい」も同じです。
長年「そんな事有り得るか?」と思っていた事が、“今”は有り得ているのです。
「働きたい」はその字面の通り、何かを求めています。
何を求めているのでしょう。
私は既に求めているものそれ自体で、“今”感じているものがその答えなのでしょう。