「何かを求める」というのは、大抵の場合「何かを避けたい」という事です。
例えば「健康を求めるなら、避けたいのは病気」という事です。
では「健康を得る為に“金”が要るか?」、「“金持ち”になったら病気を避けられるか?」と言うと全くそうではありません。
“金”で健康を買えないのは明らかで、「病気になったら“金”が掛かる」というのも私には理解が出来ません。
おそらく、“今”の私もこれと同じパターンだと思います。
何かを避けたいから、“今”なり“金”なりを求めているはずです。
そうなると、思い当たるのは“働く事”の1つしかありません。
「“金持ち”に成れば、“働く事”から解放される」と考えたとしても、不思議ではないと思います。
…が、それは「“金持ち”に成れば、病気から解放される」と言っているのと同じく、“今”の私には全く理解の出来ない事です。
私にはかつて「職場で出会った人と恋愛して結婚したい」という願望が有りました。
「働く意味はその為に有った」と言っても良いでしょう。
しかし、その願望は既に私の内で叶えられています。
無論、「“金”の為に働こう」という気持ちは微塵も持ち合わせていませんし、人目を気にする事もとうの昔に辞めています。
働く意味はもう失っているはずなのです。
それでも“働く事”が必要で、「それを避けている」というのであれば、避けずに直視しなければなりません。
外の世界で働いても意味が無く、同時に外の世界で働かないでいる事にも意味が無いのなら、内なる世界で上手く消化させる事を考えべきでしょう。
問題は「私を何だと言いたいのか?」の一点に尽きます。
その答えを導き出せる言葉が私には必要です。
“今”はそのまま“働く事”でも構いません。
「何を避けようとしているのか?」という事に関係するものを片っ端から洗い出して行けば、求める答えに辿り着けるでしょう。