これが最終的な答えなのか悩ましいところですが、“今”においては紛う事無き事実であるのは確かです。
「なるほど、だから今までそういう事を考えたり思ったりしたわけだ」と腑に落ちる事も少なくありません。
でも「何故、最終的な答えなのか悩ましいのか?」と言いますと、「スッキリした感じがしないから」です。
本当に正しい答えにたどり着いた時、長年の憑き物が落ちた様な、非常に爽快な気分になる事が多いのですが、取り敢えず事実は事実なので受け入れる事にします。
この事実には続きが有る様です。
鳩尾にそこそこ強く感じるものが出て来ています。
これがスッキリしない原因である事は間違い無さそうです。
「“今”の私と“金持ち”はあまり関係無かった」という事でしょうか?
それとも、「私は“金持ち”ではない」に何か反論が有るのでしょうか?
「“金持ち”ではない」で終わっている方が楽なのですが、そこで終わらないというのであれば仕方ありません。
その奥に踏み込みましょう。