私は“金持ち”ではない | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

これが最終的な答えなのか悩ましいところですが、“今”においては紛う事無き事実であるのは確かです。

 

「なるほど、だから今までそういう事を考えたり思ったりしたわけだ」と腑に落ちる事も少なくありません。

 

でも「何故、最終的な答えなのか悩ましいのか?」と言いますと、「スッキリした感じがしないから」です。

 

本当に正しい答えにたどり着いた時、長年の憑き物が落ちた様な、非常に爽快な気分になる事が多いのですが、取り敢えず事実は事実なので受け入れる事にします。

 

 

 

この事実には続きが有る様です。

 

鳩尾にそこそこ強く感じるものが出て来ています。

 

これがスッキリしない原因である事は間違い無さそうです。

 

「“今”の私と“金持ち”はあまり関係無かった」という事でしょうか?

 

それとも、「私は“金持ち”ではない」に何か反論が有るのでしょうか?

 

 

 

「“金持ち”ではない」で終わっている方が楽なのですが、そこで終わらないというのであれば仕方ありません。

 

その奥に踏み込みましょう。