「純粋な“今”を感じる」というのは、“今”の私には理解が追い付きません。
なので、「私を媒介にして間接的に“今”を感じる」という手法を採りたいと思います。
これだと純粋な“今”を感じる事が出来ないかも知れませんが、“今”である事にも“今”を受け入れる事にも変わりありません。
そうと決まれば早速実践です。
“今”の私は何か?
その問いは空回りする事は無く、一定の手応えを有しています。
私とは別の何処かで、集中している何かが感じられます。
時々様子を見るくらいに留めておいて、基本的にはそれに任せようと思います。
後は何時も通り過ごします。
おそらく、そういうスタンスで大丈夫でしょう。