“刈谷”は特定の方向を示している様な、もしくは特定の何かを見ている様な気がします。
“刈谷”が見ている事を、私が見ている様な感じです。
ちょっと分かり辛いので現実的な例で言うと、あなたが何処かに視線を向けている姿を、その斜め後ろから私が眺めている様な感じです。
「あの人(あなた)は一体何を見てるんだろう?」と気になって、「それを確かめたい」と思っている状態に近いです。
「“刈谷”は何を見ているのか?」という事ですが、こういうパターンは初めてかも知れません。
普段なら「“刈谷”は何を言っているのか?」になるのですよね。
「見ている」と「言っている」では違います。
「何を当たり前の事を」と思うでしょうが、内なる自己とのコミュニケーションにおいてはかなり重要な事です。
上の例のあなたの立場になって、私が「あなたは何を言っているのですか?」と問い掛ける場面を想像したら、何がおかしいか直ぐ分かるはずです。
あなたは何かを見てはいますが、何かを言っているわけではありません。
私の方が逆に「あなたこそ何を言っているのですか?」と返されるでしょう。
あなたが何を見ているのかを知りたければ、私は「あなたは何を見ているのですか?」と問うべきでしょう。
外の世界はハッキリとした映像が見えるので、見ている人に対して「何を言っているのか?」と問う場面は皆無ですが、内なる世界はそうではありません。
微妙な感覚の差異を感じ取って、正確な言葉を当て嵌めないと望む答えは得られません。
今回は「何かを見ている様な気がするな」と感じたわけですが、それが正しければ正しい答えを以て証明されます。
正しい答えが出れば、それが未知のものであったとしても「それだ」と分かります。
最近問題にしたのは「刈谷市に戻って何をするか?」という事と、「“女”は何処に居るのか?」という事でした。
どちらかを見ているのなら、今後の方向性を決めるのは格段に早く、楽になります。
方向性が決まれば計画も立て易く、準備も余裕を持って出来ます。
まだまだ“刈谷”からは目(意識)を離せません。