不思議な事に“刈谷”には“女”が見える気がします。
かなり当てずっぽうな推測ですが、「“刈谷”を辿って“女”を探せという事なのではないか?」と考えています。
この“刈谷”は現実世界の刈谷市の事ではない為、今の状態で刈谷市に戻って探し回ってもその“女”は見付からないと思います。
私もハッキリした事が言えない状態ですが、“刈谷”の解明を進ませる事が先決になるのはほぼ間違い無いでしょう。
そこで、「私の中の“刈谷”で“女”を探す」という事をしてみたいと思います。
“刈谷”に対して、「何処にその“女”は居るのか?」と訪ねるのも良いかも知れません
私が探しているなら、私も探されているでしょう。
私が会う事を求めているなら、私も会う事を求められているでしょう。
「会いたい」ではありません。
「会わせろ」です。
“刈谷”がその“女”の居場所を知っていて、引き合わせる力を持つのなら、私が発する言葉はそれだけです。
引き続き“刈谷”を模索します。
最終的には「“刈谷”は一体何なのか?」という事が知りたいのです。
今言うなら「全てを叶え得るもの」とか、「人生の目的それ自体」とか、「今生の使命」とか、「何故生きるのか?…という問いの答え」という感じになると思います。
「本当の私の姿」とも言えるでしょう。
ともかく、余程の何かなのですよ。
何せ「前世で居た」と表現したくらいですからね。
今まで通りのパターンなら“愛”や“神”の様に単語で表現出来て、尚且つ性質や要素を意味する言葉になると思うのですが、そこは拘るべきか忘れるべきか。
ともかく、解明を急がねばなりません。
焦ってはいませんが、「早く知りたい」のです。