“性(さが)” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

昨日まで在った「そうじゃない感」を感じなくなりました。

 

ずっと魂は“働くのは嫌”と言っていて、それがようやく私に聞き届けられたので、一先ずその事については落ち着けているのかも知れません。

 

私も世の中に向かって「働くのは嫌だ」と言いたかったのでしょう。

 

しかし、外に向かって訴えたところで何の解決にもならないのは常です。

 

人に対して言いたい事は、自分に対して言いたい(言われている)事であり、「何を言いたい(言っている)のか?」を私自身が理解し、受け止めてこそ初めて解決に向かうのです。

 

 

 

昨日も述べた通り、“働くのは嫌”がゴールでは有りません。

 

今まで通りのパターンなら、“働くのは嫌”が反転された何かが新たに私の中で芽生えるはずです。

 

“働くのは好き”になるかも知れませんし、働かずに済ませる何らかの方法かを見出だせるかも知れません。

 

「まずは“働くのは嫌”だという事を知ってくれ」という欲求が有り、それを先に満たさないとそれらが出るに出られなかった(それらを出すに出せなかった)のかも知れません。

 

現に今、私の中に新たな何かを感じ始めています。

 

 

 

私は私の“仕事”を早く終わらせたかった。

 

しかし、“働くのは嫌”が終わりではない事が分かります。

 

私の“仕事”はまだ終わっていません。

 

今感じ始めているものは、私の“仕事”を終わらせ得るものなのでしょうか?

 

それとも、早く終わらせたかったのは“働くのは嫌”だったのでしょうか?

 

もしそうなら“仕事”は終わるのではなく、これから始まる事になります。

 

 

 

ネガティブなものでは無さそうなので、昨日までに比べれば精神的には段違いに楽ですが、「それを知りたい」という欲求自体は些かも衰えません。

 

ネガティブだろうが、ポジティブだろうが、「それを知らずには居られない」というのが私の“性(さが)”です。

 

ひょっとすると、「この世で何をするにも必要な性質」とはこの“性”かも知れません。