今、こんな事を考えているのは私くらいのものだと思います。
誰でも知っていそうな事ですが、私は知らない事を認めなくてはなりません。
今年で45歳になる者が、それが無い事を初めて知ったのが昨日です。
今まで生きて来れたのが、ましてや独身で生活が成り立っていたのが不思議なレベルです。
そんな私に救いは有るのか?
それは分かりません。
しかし、「スタートラインには立てるかも?」とは思います。
「知らない」という事を知った。
所謂「無知の知」が、私をそのスタートラインに立たせるかも知れません。
“収入”とは何でしょう。
私の中ではそれが無い状態を“無職”と呼んでいました。
“無収入”とは呼ばす、“無職”と呼んだのです。
だから、「“収入”が有る状態を意味する言葉が、私が今考えている“収入”の意味、答えになるのではないか?」と思っています。
それは“投資”かも知れないし、“資産”かも知れないし、“ビジネス”かも知れないし、今まで通りの“労働”かも知れません。
そのまま単純に“収入”である可能性は勿論有るし、“無職”の対極に位置する概念を探すのも悪くないかもかも知れません。
「かも知れない」が連発されている様を見る通り、今は可能性が沢山有る状態です。
「そもそも最初から間違っている」という可能性も、その中に含まれています。
私は「この中から自分に都合の良い可能性だけを信じる」という事はしません。
例え最悪であっても、真実の答えが必要なのです。
これから精査に入ります。
感じるものは明らかに“無職”ではない“何か”です。
今は分からないその“何か”が一番頼りになるのです。
「分からないが一番頼りになる」とは変な話ですが、実際そうなので仕方ありません。