私の中に再度“彼女”を登場させ、改めて“結婚”をイメージしました。
「“収入”が無い」と言って拒む私は出て来ませんでした。
しかし、それでも何かが足りない様に感じられました。
それはある種の自信、勇気、覚悟の様なものに思えました。
“彼女”は私と居て幸せなのだろうか?
私は“彼女”を幸せに出来るのか?
そういう感じのものです。
「本当に私で良いのか?」と、自らに対して疑問を抱いているのが今です。
仮に外の世界で“彼女”に再会して、そういう方向に行ったとしても、全く同じ疑問を抱いた事でしょう。
「“収入”が無い」というのは、そういう私自身から目を背ける為の方便だったのかも知れません。
そして、「“収入”が有れば、“彼女”からそういう私から目を逸らさせる事が出来るのに」と、心の何処かで思っていたのかも知れません。
思えば私の人生、そして目にする情報は、私にそう思わせるに充分なものでした。
それが真理、真実なら受け入れましょう。
しかし、私は現に疑問を抱いています。
私が本当に駄目なら、世の中の言う通りなら、「本当に私で良いのか?」という疑問は浮かびません。
それどころか、浮かんでいる疑問はそれとは全く逆です。
「世間的に見れば私は駄目なはずなのに、この人はそれで良いと言っているのだが、本当に私で良いのか?」という事を言っているからです。
「本当に私で良いのか?」という疑問は、私は「良い」と言われている事が前提の疑問なのです。
この問い掛けに返事は来るのでしょうか?
待ちたいと思います。