“収入が無い” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“無職”は何を言っているのか?

 

“無職”だからと言って必ずしもそうではないのですが、私の場合は“収入”が無い事を意味していました。

 

“無職”と聞けば「“収入”が無いんだな」と即座に連想するくらい、両者は強固に結び付いていました。

 

“会社”に依存していたのも“収入”で、「自分にはそれが無いから“会社”に貰おうとしていた」と考えれば辻褄が合います。

 

感じるものもそれを否定しません。

 

“無職”に感じていたモヤモヤが大分晴れたのです。

 

この分だと形が変わるかも知れません。

 

 

 

今回は様々な要素が複数絡み合っていました。

 

問題にしていなかった“結婚”にまで範囲が及んでいたのです。

 

“愛”や“結婚”は私の内で発見し、会得済みです。

 

しかし、外の世界で結婚をしようと思ったら、それらだけでは成立しない事は分かっていました。

 

「何故成立しないのか?」はお金絡みである事を察していましたが、単純なお金ではない事もまた察していました。

 

 

 

そこで、想像の中で“彼女”を登場させました。

 

“愛”と“結婚”の両方を感じられる“彼女”ですが、私は例え“彼女”が望んでもある事を理由に拒む姿がイメージ出来ました。

 

年齢は結構離れていますが、それは拒む理由になりません。

 

イメージの中の私は何を理由に拒んだかと言うと、「“収入”が無い」と言って拒みました。

 

そこで“無職”が意味するのは“収入”が無いという事だと知ったのです。

 

 

 

外の世界では低いと言えど“収入”のアテは有りますし、今までも有りました。

 

しかし、私の中では無かったのです。

 

これではどれだけの“収入”を得ようが、私の“収入”は無いままとなってしまいます。

 

「低い」とかそういうレベルではなく、「全く無い」というレベルに等しいのです。

 

どんな職に就いても“無職”同然です。

 

 

 

今回はそこに気付いたわけですが、私の中で“収入”が得られたかと言うと、まだそうとは言えません。

 

おそらく“無職”は別の形に変化すると思いますが、“収入”が有る事を意味する形になる保証はありません。

 

私のスピリチュアル理論的にはそうなるはずなのですが、全く予想外のものになる可能性も充分に有ります。

 

私自身の事なので、思っていたのとは違っても誰にも迷惑が掛からないのは幸いな事ですが。