過去にも同じタイトルを用いていると思いますが、全ての入り口は「今、何を感じているのか?」という事に尽きます。
簡単に思えますが、心から本当にそう問える(考えられる、思える)状態になっていないと、この言葉は出て来ません。
この状態に持って行くまで何度も気付きを要し、一度の気付きの為に多くの意識とエネルギー(関心、興味)と時間を要します。
どうやっても一朝一夕には行きませんし、嘘もいい加減も通じません。
「それ以外の全てを忘れてでも」という、本当に求める姿勢が必要になります。
現に「“女”の為に生きている」と言っている私も、今は“女”の事を忘れて“お金は要らない”に全てを傾けています。
そうする事で初めて、「感じているものは何を言っているのか?」という出口に向かえるのです。
その出口の先に私の知らない自分自身が居て、「私は○○だ」という自覚を得るのです。
これ以外の方法で自分自身の真実に辿り着く事は、私には出来ません。
自分自身の真実とは、私が本当に求めるものであり、この方法がそれを得る為の唯一無二の方法なのです。
感じている“楽”は、その入り口から出口に向かう過程でついでに味わってしまう副産物でしかありません。
目的地に向かうまでに暑さや寒さを感じ、時には風雨に晒されるのと同じです。
暑さや寒さを感じる事や風雨に晒される事が目的ではないのと同様に、この“楽”もまた目的ではありません。
ずんずんと前に進み、目的地を目指さなくてはなりません。