私は働きたくもないし、お金も要らない。
「それでどうやって生きて行くのか?」と言いたくなりますが、精神的にこれ以上楽な事もそうそう無いでしょう。
その通りに私は今、“楽”を感じています。
この“楽”を実際に感じてしまっては、反論など出来ようもなくただ認めるしかありません。
「“お金は要らない”と思って(感じて)いた事を受け入れた対価としてはまあ充分だ」と言いたいところですが、完全に満足したわけではありません。
「何故そうなるのか?」を知りたいのですね。
「その方が“楽”だからだろうか?」と思いますが、もう少し追究したい思います。
私の“お金は要らない”は「空気は要らない」と言っているのとほぼ同じ感覚です。
「それってどういう事か?」という事です。
空気が無いと生きられない事は分かっているのに、何故「空気は要らない」と言えるのでしょう。
何を知っていたら、空気は要らなくなるのでしょう。
その答えがそのままお金にも流用出来るのではないでしょうか。
お金が無い。
お金が欲しい。
お金に対する欲。
それらが無い事が、「お金は要らない」の本質なのかも知れません。
「要らないのはお金に対する欲や欠乏感であって、お金そのものではない」という事かも知れません。
まだまだ充分な境地には至りません。
折角訪れた“楽”ですが、ここに甘んじているわけにはいきません。
私はこれを目的としていたわけではないのです。