“楽” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

私は働きたくもないし、お金も要らない。

 

「それでどうやって生きて行くのか?」と言いたくなりますが、精神的にこれ以上楽な事もそうそう無いでしょう。

 

その通りに私は今、“楽”を感じています。

 

この“楽”を実際に感じてしまっては、反論など出来ようもなくただ認めるしかありません。

 

「“お金は要らない”と思って(感じて)いた事を受け入れた対価としてはまあ充分だ」と言いたいところですが、完全に満足したわけではありません。

 

「何故そうなるのか?」を知りたいのですね。

 

「その方が“楽”だからだろうか?」と思いますが、もう少し追究したい思います。

 

 

 

私の“お金は要らない”は「空気は要らない」と言っているのとほぼ同じ感覚です。

 

「それってどういう事か?」という事です。

 

空気が無いと生きられない事は分かっているのに、何故「空気は要らない」と言えるのでしょう。

 

何を知っていたら、空気は要らなくなるのでしょう。

 

その答えがそのままお金にも流用出来るのではないでしょうか。

 

 

 

お金が無い。

 

お金が欲しい。

 

お金に対する欲。

 

それらが無い事が、「お金は要らない」の本質なのかも知れません。

 

「要らないのはお金に対する欲や欠乏感であって、お金そのものではない」という事かも知れません。

 

 

 

まだまだ充分な境地には至りません。

 

折角訪れた“楽”ですが、ここに甘んじているわけにはいきません。

 

私はこれを目的としていたわけではないのです。