“スピリチュアル”とは何か?
それは自分自身の事であるには違い無いのですが、そんな事を言ったら全てがそうなってしまうので、答えとしては不十分です。
「“スピリチュアル”である」という答えだったにしても、私がその意味を深く理解していないと、答えとして機能させる事も出来ません。
“スピリチュアル”を知らないで、“スピリチュアル”を仕事にするのは不可能です。
ただ、それを知る前から「楽しそうだから、これならやってみたい」という気持ちが既に有ります。
私はそれが何かをハッキリ分かっているわけでも無く、それ故に成功するか失敗するかも分からない状態なのに、「“やってみたい”だけが在る」のです。
純粋にそう思っているらしく、私の深いところでそれが何かを知っていて、それをしたいというのであれば、私に異存などあろうはずも有りません。
「内的に満場一致」と言える状態で、否定的な要素が入り込む余地が感じられません。
「それを知らないのは私だけ」という事なら、私は一刻も早くそれを知る努力をしなくてはなりません。
“スピリチュアル”は何を言っているのか?
それが私の“スピリチュアル”の形になるのかも知れません。
“占い”と言っていれば占いを、“カウンセラー”と言っていればカウンセラーを、その他何でも“スピリチュアル”の言う通りの事を形にするでしょう。
どうも、そういう事でも無い気がしますが、“スピリチュアル”が大きな鍵になっている事だけは疑い様が有りません。
“スピリチュアル”では無い“何か”を、“スピリチュアル”と呼んでいる気もします。
少なくとも、私が今まで見聞きした“スピリチュアル”の何れとも違います。
私だけの“スピリチュアル”の形、あるいは私の知らない“スピリチュアル”の形が有って、それを示しているのかも知れません。
それが既に私の中に在るのなら、それは既に私のものです。