“スピリチュアル” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

随分前から知っていた言葉で、私が自身を見詰める切っ掛けになった言葉がヒットしました。

 

先日書いたような、「見ればこれだとハッキリ自覚出来る」という程インパクトは無いものの、現状では最も適切な言葉である事に変わりはありません。

 

それは“スピリチュアル”です。

 

“スピリチュアル”という言葉に、関心を引かれる反応が在ります。

 

「感じていたものが“スピリチュアル”と言っている」のと、「感じているものが“スピリチュアル”という言葉に反応している」のとでは、その意味が異なるのですが、どちらにしても次に精査すべきは“スピリチュアル”一択になるでしょう。

 

 

 

確かに“スピリチュアル”なら“1人でやる”は可能です。

 

初めて“スピリチュアル”に触れてから10年以上、実質的にそれしかやっていなかったに等しいので、飽き性の私がその期間ずっと休まず続けられたという事は、その方面での適性も有るのでしょう。

 

“スピリチュアル”を仕事にする事には非常に抵抗が有りましたが、「お金目当てで問題無い」という自覚を持った今、文字通り問題にはなりません。

 

「私は人の幸せの為ではなく、自身のお金の為に“スピリチュアル”を用います」と宣言する事に、何の後ろめたさも感じません。

 

「やっても良いかも知れない」という気持ちも伴い、内的には「“スピリチュアル”を仕事にしてお金を得る事に何ら問題は無い状態」と言えます。

 

 

 

今度は“スピリチュアル”が問題になります。

 

その言葉の中に、私が次に求める意味が込められている様に思います。

 

「“スピリチュアル”を仕事にする」はそこそこ具体的なのですが、「どういう形で」が見えているわけではありません。

 

その形を“スピリチュアル”から抽出する事を試みる必要が有ります。

 

「今度は“スピリチュアル”それ自体を見詰める」という事ですね。