“彼女”と何の関係も無いお金がこのタイミングで出て来たのには理由が有ります。
「自分を“彼女”にする」と言った(知った)直後、「こうなれば自分を“お金”にしてしまえば良い」と考えた為です。
それから程無くして、私はお金を出す事に抵抗を感じている事を知りました。
私は「きっとこれがお金に感じていた不自由の正体だ」と思いました。
お金を使いたくないのが本音であるなら、お金を使わない事に心地好さを感じるはずですが、実際に感じるのは酷い窮屈さです。
「本音に従って窮屈になる」という事は有り得ません。
私はここに来て始めて疑問を持ちました。
おそらく、この使う事への制限は同時に入るお金の制限にもなっていると思います。
「私はお金を使いたくない」と思う事は、人に対しても「私にお金を使って欲しくない」と思っている事だからです。
今の私では幾らお金を持っても、あるいは持たなくても意味が有りません。
まずは私の内に在る抵抗を解除する必要が有ります。
しかしながら、それはもう直ぐそこまで来ているような感じがしています。
お金を使う事に関して許可を出すような言葉が、このお金の制限を解く鍵になると思います。
ドンピシャで一致する言葉を見付けた時、私はまた1つお金の制限から自由になるでしょう。
その時に「ああ、これだ」とスッキリしている私がうっすらと見えています。
何時もならのんびり構えますが、今回はあまり時間を掛けたくはありません。
今在る制限を解いた先にも、求めた“悟り”を何となく感じるのです。