私の中に在る“仕事” | 魂の世界に生きる

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私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

感じているものは“仕事”と見て良さそうです。

 

念の為にもう少し精査すべきかどうか考えましたが、“仕事”という言葉は感じているものに確りと磔にされているように思うので、そういう前提で進めて行こうと思います。

 

これで“仕事”自体は「見付かった」と言えるでしょう。

 

それが私の中に在る以上、私は“仕事”を避ける事が出来なくなりました。

 

しかし、同時に仕事はしなくても良くなったはずです。

 

何故なら“仕事”とは在るものであって、する事ではないからです。

 

したくても出来ず、そもそもしようがないものが“仕事”である以上、「仕事をする(しない)」という概念は破綻します。

 

そして、内に在ると自覚したものは決して失われません。

 

外の世界で無職になっても、内なる“仕事”が失われる事が無いのです。

 

内の“仕事”は外の仕事とは全く違い、外の仕事の概念の全てが当て嵌まらないと思われます。

 

「仕事が見付かった?…で、具体的に何をするの?」という問いが成立しないのです。

 

今の私に出来る事は、この内なる“仕事”について理解を深める事のみです。

 

強いて言えばそれが答えになるでしょう。

 

 

 

まだ理解が中途半端ですが、私は既に見付かったその“仕事”をしています。

 

外の世界で言うなら応募、面接、試験のいずれかの段階で実務には入っていないかも知れません。

 

しかし、採用される事と実務をする事は決まっているのです。

 

この“仕事”が出来るのは私以外に存在しないし、仮に居たとしてその人は私以上の適任者になり得ません。

 

私に任せるのが一番だから、今こうして私の元に“強く仕事”が感じられるものとして来ているのでしょう。