“意識”と“モテる” | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

ここ数日はそれなりに考える事、感じるもの、気付きがありましたが、率直に言うとどれもこれもイマイチで、記事として書きたいと思えるようなものではありませんでした。

しかし、複数まとまればそれなりに「書いても良いか」と思えるようになったので、今回書く事にします。


・全て自分が創っているとして、何を材料にして創るのか?

・どうにも“拒絶”を感じるが、その奥には何が在るのか?


あまり価値を感じていなかったせいか、幾つか忘れてしまったので、この記事では覚えている以上の2つの事を書きます。



何を材料にして創るのか?

私が出した一応の答えは“意識”です。

顕在意識でも潜在意識でもない、単なる意識です。

「意識を材料に全てを創っていて、自分がその意識のものである。すなわち、自分を材料にして全てを創っている」という考えです。

その考えに基づくならば自分=意識であり、「自分は意識である」のです。

私が見出だした今までのどの自分よりも本質的で、格付けをするなら最も格上の自分です。

もちろん、愛よりも上位です。

すると、「それが何であれ、所詮は意識(自分)の振動でしかない。意識の振動がそれを形作っている」という考えが何処からか浮かんで来ました。

これは目新しい考えではなく、あちこちで言われているような事なので、過去に聞き齧った記憶を思い出したに過ぎないと思います。

現実が意識の振動によって生じた波が形として見えているだけでしかないのなら、自ずとどうすれば良いか解ります。



次に何を拒絶していたのか。

私は「女性と一緒になる事を求めているのだ」とずっと思い込んでいましたが、とある事が切っ掛けで「実は拒絶する(される)事を求めていたのではないか」と思うようになりました。

感じているものと“拒絶”という言葉が近いように思えたので、「どうせなら最高の形で拒絶して(されて)みるか?」と考えました。

しかし、改めて感じるとどうにもしっくり来ません。

次第に“拒絶”という言葉とのズレが感じられるようになりました。

それでも私は感じているものに意識を向けながら、答え合わせをするかの如く「拒絶、拒絶…」と繰り返し続けました。

すると、“拒絶”が突然“モテる”に変わりました。

「拒絶、拒絶、拒絶、拒絶、モテる」という感じですね。

“モテる”に変わった瞬間、感じていたものとの一致が見えました。

この瞬間、「感じていたものは“拒絶”ではなく、“モテる”だった」という線が私の中で濃厚になりました。

「“拒絶”の奥には何かが在る」と感じていましたが、「まず最初に見えたのは“モテる”だった」という事です。

何故「まず最初に」なのか?

それはまだ奥を感じるからです。