退屈と向き合う | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

ここ数日は何も起こりません。

新しく起こりそうな事も、次に学ぶべき事も今の時点では全く見えて来ません。

「退屈な事この上無い」と言ったところです。

やる事が無いので、この“退屈”と向き合ってみる事にしましょう。

退屈には退屈の言い分があるかも知れません。

…と書いている側から、退屈と言っているようではない気がしてきました。

本当は何を言っているのでしょう。

それを私が「それは退屈な事だ」だとしているだけで、実はやってみたらとても楽しい事だったりするかも知れません。

私の活かすべき特質であったり、奥に本当に求める要素が秘められている可能性もあります。

感じているものから判断すると、その考え方は大きく間違ったものではないと思うので、「これは“退屈”ではないらしい」という立ち位置から、改めて向き合う事にします。



まさか“退屈”に関心を示す事になるとは思いませんでした。

やはり感じているものは“退屈”ではないのでしょうか。