無意識で「愛している」を | 魂の世界に生きる

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

気付かない振りをしましたが、Iさんの姿は確りと捉えながら「彼女の姿があるのは嬉しい。やっぱり愛している」と思いました。

幾分は軽くなったと感じますが、それでもその愛は未だ無意識の何かによって阻まれているようでもあります。

もっと全開に。

無意識で「愛している」を。

今はそれを望んでおります。

愛が無意識化すると、今のように強く愛を感じる事も無くなるでしょう。

その代わり、愛の投影先が常に傍らに存在するようになる気がします。



私が感じているものが本当に愛なのかどうか。

人を愛した事が無い私は未だに確証が持てません。

でも、愛した事が無いなら愛を知らないはずなのに、どうして愛した事が無いと言えるのでしょうか。

愛を知っていないと言えない台詞のはずですが。



「愛は言葉のみによって表現出来るものではない」とする私の考えは、愛の無意識化によって補完出来ます。

私が無意識に行う全てが「愛している」という無言のメッセージとなるのです。

それは私が意識的に行うどんな努力よりも強力な効果を発揮するでしょう。

その人に対してどう接すれば良いかも自然に、少なくとも今よりは遥かに理解し易くなる事でしょう。

無意識の愛、それは即ち私が相対するその人そのものです。

その人が無意識の私を映す鏡なら、そうなるはずです。

Iさんが私の無意識の愛の鏡となるならば、それ以上に幸せな事は無いと思います。