情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私 -5ページ目

情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害な私

愛着障害、高次脳機能障害、情緒不安定パーソナリティ障害、解離性障害、左手指の麻痺

生きることは簡単ではありませんが、それでも生きていきたい。
そんな前向きな日々を過ごしていきたい。



9月は驚く程に調子の良さをみせたが、今は幾数にも重なるストレスによって心に風穴が空いている。
やる気が起きない、虚しい、人に会いたくない、真っ白な空間で寝ていたい。

私は長い入院期間を経験しているので、あのしん、とした音の無い真っ白な四角い空間が好きだった。

何もせず、考えることといえば自分の治療のみ。
定期的にやってくる看護師、医者。お見舞いに来る家族。
「何もしないこと」を許される空間。
感情が無になる空間。

解放されて心が楽になる空間。

けれど、人間は目標を失うと自分の価値を見失うから、またあの空間に戻ることは叶わない。

不思議と今は虚しくてもやる気が起きなくても死にたいとは思わないし、私は確実に前に進めているのだろうと思うけど、その実感があれど日々が順調に行くことには繋がらない。

きっと生きる人皆がそう。

毎日が順風満帆で満たされて居る人なんていない。

それでも生きていかなきゃならない。

厳しい現実だけど、漠然とした希望を持って生きなきゃならない。

目の前は真っ暗だけど。

挫けないようにしなきゃ、頑張らなきゃ。


自分というちっぽけな人間の存在意義とは如何なるものだろう。
これまでに受けた痛みや苦しみはきっと課せられた責務なのだと感じている中で、その責務をどの様な形で果たそうか。
世界には様々な職種が存在して、受けた痛みを書き起こし孤独を分け合う事も出来る。
話を傾聴し軽減させることも出来る。歌にし励ますことも出来る。
薬を選別して和らげることも出来る。

私の存在意義はきっとその中の何処かにあるのではなかろうかと考える。
人は自分の経験でしかものを語れない。憧れの他人にはなれないし、その人の気持ちにもなれない。
その人の苦しみも痛みもつらさもその人のものでしかなく、下手に共感も出来ない。
でも必ず私の半生は生かされ痛みもつらさも苦しみも無駄なものではなくなる時が来ると信じている。
それが私のエゴだとしても。

そこに存在意義を置いて死を迎えたい


今までのは躁でした。
回復でもなんでもなかったのです。

動悸不安恐怖悲しみ苦しさ
自分が自分じゃないような感覚。

自分に叱られました。
「バカっ!何やってんだよ!薬だろ!」だったかなあ

記憶が曖昧。

Twitterの友達も皆鬱。
この時期そうなのかなあ、

なんてみんなと私を一緒にしたら失礼かな。
ルボックスとクエチアピンに頼る日々。

水も飲めないほど苦しかった今日。

なんなんでしょう。
いつ寛解するのでしょう。